《The Former Yugoslav Republic of Macedonia / Republika Makedonija / Република Македониjа》

ブルガリアへ(Skopje〜Sofiya ルート)
撮影場所:マケドニア

マケドニア側

マケドニア人/ブルガリア人への検査は厳しいが、外国人は事実上フリーパス状態。この国境は、首都間を結ぶ最短ルートですよん。

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ブルガリア側

な〜んもない、地味な国境


マケドニアは、正式名称「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」、通称マケドニア共和国。現地語では、 レプブリカ・マケドニヤ (Република Македониjа)。1946〜1992年はユーゴスラビア社会主義連邦共和国(旧ユーゴ)の構成共和国だった。旧ユーゴから独立した諸国の中で唯一、武力を伴った紛争が起きず、無血独立を果たした。

マケドニアとは、かつてのマケドニア王国で、 今のギリシア〜マケドニア〜ブルガリアの地域にまたがっていていた。同王国は、紀元前4世紀のフリップ2世とその子Aleksandros III(大王、在紀元前336年〜前323年)の時に最盛期を迎えた。

1991年9月18日、マケドニアは「独立宣言」を行い、「マケドニア共和国」を宣言した(1992年3月に独立)。1993年1月、マケドニアは国連加盟を正式に申請したが、マケドニアの「国名」と「国旗」について、隣国のギリシャ共和国から横槍が入った。

アレクサンドロス大王の出身地であるマケドニアは、現ギリシア共和国北部に“マケドニア州”あるため、このギリシアのマケドニア州とマケドニア共和国との統一を訴える“マケドニア民族運動”を推進するおそれがある、が表向きの言い分。更に、ピリッポス2世大王時代の墓とされるところから出土した“赤地に黄色の花形太陽”を国旗としたため、ギリシアは猛反発した。

1993年、暫定的な名称である「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」(Former Yugoslav Republic of Macedonia)というややこしい名前、国旗をマイナーチェンジしたことで落ち着き、国際的な承認を得るとともに国連加盟を実現した。

ギリシアでは「マケドニア共和国」を、この頭文字を取って、FYROM(ファイロム)と呼ぶ。国連や国際機関では、F.Y.R.Macedonia と表記される。

なお民族的には、今のマケドニア人はスラブ系であり、かつてのマケドニア王国の人々とは民族の系統が異なる。もうひとつの隣国ブルガリアは「マケドニア共和国はブルガリア、マケドニア人なんていない。皆ブルガリア人だ」と考えている。マケドニア人は非常に穏やかな民族で、セルビア共和国に同情的な立場をとる。

コソボ紛争(1998〜1999年)が終わり、2000年末頃から、隣国のコソボ自治州から「アルバニア主義」を標榜するKLA/UCK(コソボ解放軍)の一部が、NLA(コソボ民族解放軍)と名称を変更してゲリラが越境してきた。KLA/NLA兵士は、マケドニア北西部の国境近くの村を襲撃して、マケドニア人を追い出し正教会を破壊した。

2001年2月、マケドニア政府軍・民兵組織はKLA/NLAを駆逐するため出動したため、戦闘になった。8月、NATO(北大西洋条約機構)が双方を仲介して休戦した。NATOはKLA/NLAには武装解除を迫った一方、マケドニア政府に対して「アルバニア人の権利拡大のための憲法改正」を迫った。

(1)人口が20%以上がアルバニア系住民を占める地域におけるアルバニア語の公用語化。(2)今後2年間で1,000人のアルバニア系警察官の増加、等。

マケドニア政府は渋々、NATO軍の調停案を受け入れた(オフリド合意)ため、無期限停戦が成立した。



参考資料





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