《People's Republic of China / 中華人民共和国〜Democratic People's Republic of Korea / 朝鮮民主主義人民共和国》

北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)新義州市
撮影場所:中国遼寧省丹東、鴨緑江の遊覧船から

(2005年5月)

旧・王子製紙新義州工場

丹東の約100km程、鴨緑江(朝鮮語では「アムルクカン」という)上流には、満州国時代に日本の間組が工事を行った「鴨緑江水豊発電所」(世界最大級、1937〜1944年)が現存している。このダムは現在、北朝鮮側に属している。新義州市にはダム工事の際に出た、大量の材木を扱った材木商・製紙業の会社が林立した、そうだ。写真の王子製紙工場もそのひとつ。

この工場からの排煙は、何年も見ていない」と、おばちゃん(北朝鮮が一望できるホテルの客室係)が笑いながら言うてました。なお、夜はどこも真っ暗です、北朝鮮側。

新義州市に建てられた日本の工場で、朝鮮戦争での米軍による破壊を免れたのは、王子製紙新義州工場・鐘淵工業新義州葦人絹パルプ工場等がある。

●日韓併合時代の新義州

日本工営(久保田豊)は、朝鮮を視察・情報収集をして、鴨緑江上〜中流に大型の発電が出来る事を確信、朝鮮総督府に対して民間資本による電源開発を訴える。日本工営は、多くの電力を必要とする“化学肥料”メーカーの日本窒素肥料(社長野口遵)を誘致。電源開発は総督府のある程度の独自的な政策と日本内の民間資本の統合によって展開1929年 (昭和4年)に赴戦江第一発電所(13万kw)を完成させる。

日本窒素肥料は北朝鮮・興南に、日本窒素系の「一大化学工場」を建設する。これを機に、鴨緑江の新義州市(旧・新義州府)および周辺には、大規模な電源開発、1944年(昭和15年)には世界最大級の水豊水力発電所(鴨緑江水力発電株式会社〜久保田豊社長、間組他)も完成させた。

電源開発に付随して、多くの電力多消費型産業の軍需工場が建設された。日本窒素肥料の野口遵は政商として財を成し、戦時体制で朝鮮に通称「日窒コンツェルン」と呼ばれる・財閥を作り上げた。

軍需物資は朝鮮鉄道・南満州鉄道を使って、最短・最速で満州国へ運ぶことができた。しかし日本の敗戦時に侵出してきたソ連軍は、最重要な収奪目標として狙い、日窒コンツェルンを含む日系企業は全てを失った。工場の機械類は戦後、ソ連軍が最低限のもの以外は、持ち去っていったそうだ《森田芳夫『朝鮮終戦の記録』より》

飛行機製造のための軽金属関連工場:日本アルミ金属、安田鉱業所(新義州黒鉛選鉱場)、朝鮮神鋼金属(新義州工場)、東洋軽金属(楊市工場)ーのちの三井軽金属など

燃料のための工場:朝鮮無水酒精(新義州工場)、朝鮮燐寸(新義州工場)、朝鮮石炭工業、朝鮮窒素火薬、朝鮮石油など。

他:東洋商工(新義州工場)、王子製紙(新義州工場)、鐘淵工業(新義州葦人絹パルプ工場)、日本農産化工(新義州工場)、クームヒン(新義州工場)、郡是工業新義州(製糸工場)、朝鮮富士瓦斯紡績(新義州工場)、東棉繊維工業(新義州工場)、大豆化学工業などである。

北朝鮮の新義州市は、工場だけではなく満州国時代に日本人が住んでいた建物が、至る所に残っているそうだ。









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