《People's Republic of China / 中華人民共和国》
《Democratic People's Republic of Korea / 朝鮮民主主義人民共和国》

北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)との国境
撮影場所:中国遼寧省、丹東

(2005年5月)

丹東の街

国境を兼ねるこの川は「鴨緑江」(朝鮮語では「アムルクカン」という)。写真手前=北:中朝友誼橋(旧・鴨緑江第二橋梁)、写真奧=南:鴨緑江断橋(旧・鴨緑江橋梁)。橋のたもとには、高層マンションや商用ビルが立ち並ぶ。


●丹東(安東)

丹東は、遼東半島の付け根にあり、20世紀初につくられた町で「安東」と呼ばれていた。西南部は大連市、南東部は北朝鮮に接する。丹東市街区の人口は約68万人。中国の辺境で一番大きい町である。

日清戦争(1894〜95年)後、朝鮮の“李王朝”はロシア帝国へ「鴨緑江上流の伐採権利」を譲渡する。結果、河口の龍岸浦や安東(現・丹東)や対岸などには、ロシア商人の居住区が出来る。町にはロシア風赤レンガ建物が多く立ち並んだ。

1903年、清朝は安東港(現・丹東港)を対外開港。この地に進出してきた日本当局によって、要衝・集積地としての安東(現・丹東)の町がつくられた。以降、鴨緑江を利用した水運の発達により、安東は流域の物資集散地として発展する。

日露戦争(1904〜05年)の勝利で、日本は1906年、安東(現・丹東)〜奉天(瀋陽)間の鉄道敷設と、その付属地を経営のために、満州軍野戦鉄道提理部を母体として半官半民の国策会社「南満州鉄道株式会社」を設立した

1909年8月、鴨緑江橋梁(現・鴨緑江断橋)を建造。1911年に橋が完成して、ついに南満州鉄道と朝鮮鉄道が連結した(明治44年)

1923年、絶大な治外法権を持つ鉄道付属地は、安東にも設けられた。

日本工営(久保田豊)は朝鮮総督府に対して民間資本による電源開発を訴え、多くの電力を必要とする“化学肥料”メーカーの日本窒素肥料(社長野口遵)を誘致。1929年 (昭和4年)鴨緑江の上流に赴戦江第一発電所(13万kw)を完成させる。以後、電源開発は、朝鮮総督府のある程度の独自的な政策と、日本の民間資本の統合によって展開される。

満州事変(1931年)が勃発すると、安東は直ちに日本軍に占領される。満州国は安東省を新設(1934年、1937年に安東市に昇格)している。同年、鎮江山公園の造園を開始(現・錦江山公園、1965年に改称)。入り口付近に「安東神社」もつくられた。現在は鳥居の残骸が残る。

1937〜1944年、 鴨緑江の上流に、世界最大級の重力式コンクリートダムが造られた。最大出力70万kw。電力は朝鮮半島及び満州国に送電された。冬期、3m近くの厚さで凍っていた鴨緑江は、水豊ダムの影響で凍らなくなった。大規模な電源開発により、多くの大型軍需工場も進出してきた。

1937年の統計では、安東市内の満鉄付属地だけ、日本人16,271名(+満州人46,306名+朝鮮人14,674名+外国人13名、1937年。※満鉄付属地は1937年に満州国に返還)が住んでいた。繊維・金属・電機を中心に400社以上の日本企業が進出しており、安東市内全域では3万名の日本人が住んでいたらしい。

1943年4月、軍需物資などの輸送量の拡大のため、鴨緑江第二橋梁(現・中朝友誼橋)を建造、京義線の複線化が実現した(昭和20年6月1日開業)

第二次世界大戦末期、ソ連軍の満州侵攻により、北部から逃れてきた避難民等が滞在。ここから朝鮮半島を経由して日本への帰国を図った。だが程なく2本の橋はソ連軍に占領された。安東に集まった人も含む7万人にも及ぶ軍人等は捕虜となる。捕虜の一部は瀋陽(奉天)の捕虜収容所に収監されるが、葫芦島経由で帰国した。だが一部はソ連に抑留され強制労働をさせられた。

日本の敗戦後(1945年)、中国共産党軍が接収する。

朝鮮戦争時(1950〜1953年)では、中国共産党軍主体の中国人民義勇軍の兵站前線となった。中国共産党から派遣された義勇兵・武器類が、2本の橋を経て北朝鮮に流れたため、補給路を断つために、アメリカ空軍B-29により爆撃され、2本の橋とも落ちた。

1965年安東市は丹東市と改称された。

現在の丹東は、総人口240万人(2001年)、市区人口70万人で、朝鮮族が20万人以上いるが満州族が占める割合が高い(清朝は満州での漢人入植を禁止する封禁政策を取っていた、1874年に全面的に解禁)

2002年、北朝鮮政府は新義州市を「新義州特別行政府」に指定。丹東市と北朝鮮との貿易総額は約2億ドル(2001年、近年10%前後の伸び)。また中国国内から丹東市を通過して北朝鮮を訪れる客は、約7万人(2002年現在)。

2005年5月現在、国境都市・丹東は“北朝鮮・新義州市の開放”に備えて、朝鮮族や韓国人が定住し始めたため、不動産投資ブームに沸いている。丹東市民の実際の購買力に比べ、不動産価格が著しく高いバブル状態。

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国境の橋
中朝友誼橋(旧鴨緑江第二橋梁)の中国側のたもと

中国側だけは、日本が橋を造った当時の姿を残している







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