《Union of Myanmar / Pyidaungzu Myanma Naingngandaw》

ダンバウ(ビリヤーニ)
撮影場所:ヤンゴン、インド系の専門店

鶏肉(チェッター・ダンバウ)

クミン、シナモン、カルダモンなど多彩な香辛料を使った「インド風炊き込みご飯」=ビリヤーニ。インドやバングラデシュのビリヤーニとほぼ同じ。肉は鶏肉か、マトンを使う。

マトン(セイッター・ダンバウ)

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チッティ・タミンザイン(インド系食堂のこと)

写真の男性は、カラー・ムスリム(インド系イスラーム教徒)。軍政ミャンマーにおいては仏教徒以外は様々制限されている。

ミャンマーのインド人

ミャンマーには、英国植民地時代(英国領インドの一部)に入植したインド系民族の1世〜3世が多く住んでいる。特に下ビルマと呼ばれる地域には、英領インドから毎年10万人もの入植者が住んだ(推定計200万人)。首都ヤンゴン(当時はラングーン)の人口構成は、インド系が54%も占めた(ビルマ系36%、中華系7%、英国系7%)。

インド人のうち一部のヒンディ教徒は、農業開発資金を貸し付ける名目の金融業(高利貸し)に従事。1930年頃の農業恐慌では、ほとんどが農民が債務不履行によって土地を失い、インド人が地主になる。小作人になり下がったビルマ系民族から厳しい搾取を行い、これをインド本国へ送金した。インド人は「チッティ」と呼ばれ憎悪の対象になる。

他の入植インド人も、肉体労働者、軍人や警官、中・下級官吏、商人、技術者等として働き、ビルマの政治経済を圧迫していく。現在もインド人=狡猾とし、好印象は持たないらしい。

1937年にビルマは英領インドから切り離されると、インド人排他運動などの激化で、インド本国に帰国するインド人が急増した。1960年代に、ビルマ社会主義体制下で更に多くのインド人が帰国、一時期は7万人まで減少した。

ビルマ系民族は、インド人を差別的な意味合いを含めて「カラー」と言う。

だが、現在では、インド系ムスリム(カラー・ムスリム)、中国系ムスリム(バンデー)およびビルマ系ムスリム(バマー・ムスリム)を一括りにして、1つの民族のように指す言葉にもなっているらしい。







1998年1月〜1998年2月時:1FEC(兌換券)=1米ドル=290〜240K(チャット)


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