《Islamic Republic of Afghanistan / ジョムフーリーイェ・エスラーミーイェ・アフガーネスターン

《アフガニスタン・イスラム共和国》92年春以降、ムジャヒディーンのラバニ政権下での国名。現在の暫定行政政権はこの名前を引き継いでいる
※《アフガニスタン・イスラム首長国》97年以降、タリバン政権は国名変更主張(認められず、2001年末崩壊)

タリバン政権の幹部(パシュトゥン人)
撮影場所:ヘラート

アフガニスタンでは、ターバンの巻き方や布は、地方や民族・部族によって区分けしている。タリバン政権の幹部は、黒いターバンを好む。彼はアフガニスタン西北部ヘラートに派遣されたパシュトゥン人。彼が日常的に話すパシュトゥン語はヘラートで通じない。

(撮影:1998年7月、オット)

北西部ヘラートにいたタリバン幹部さん
(英語使い。結構、話しのワカル奴だった)

タリバンの構成員は4種類に区分けされる

(1)アフガニスタン難民キャンプに育ち、 JUI (ジャマアティ・ウレマ・イスラーム)所属の神学生:パシュトゥン族
(2)パキスタン国内に住む旧ムジャヒディン(ソ連侵攻時代の聖戦士):パシュトゥン族、イスラーム諸国等からの義勇兵の残党
(3)身分を隠したパキスタン軍統合情報部所属の兵士:パキスタン人(本国の指示)
(4)オサマ・ビンラディン氏を慕うアラブ系義勇兵:アラブ人

なお、4系統を統一した組織や司令はなかった。そのため米英軍による、アフガニスタン侵攻(2001年10〜12月)で、敗戦が濃厚になってきた11月下旬には、サッサと脱走してしまい、総崩れになってしまった。


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