《Republic of Albania / Republika e Shqipëise》

ロマ(ジプシー)
撮影場所:北西部、シュコデル

アルバニアでは、ロマは「マジュップ」と呼ばれる。なおバルカン半島では、定住するロマをアルリア Arlia / Erlia と呼ぶ。一般的にロマの男性は「ロム」、ロマの女性は「ロムニ」と呼ばれる

アルバニア共和国でのロマは、道端や市場の隅で、古着や食器類、小物(ガラクタのようなもの)等を売る「露店」Firma gabi を開いて生活を営む者が多い。

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西暦10世紀頃、インド北西部ラジャスターン地方に住む一部の人々は、西へ西へと「流浪の旅」を始めた。この人々をロマ(ジプシー)という。隣国パキスタン〜ペルシャ〜トルコを経てバルカン半島に現れた(14世紀)。

15世紀後半から「迫害」が激しくなり、放浪生活や更なる移動を余儀なくされた。ワラキア公国・モルドヴァ公国ではロマの奴隷取引もあった。17世紀には、アフリカ大陸や、ポルトガルから船に乗せられて、ブラジルに追放されたロマもいた。19世紀後半にはアメリカやオーストラリアなどへの大規模な移住があった。

第二次世界大戦中は、ユダヤ人だけではなく、実に多くのジプシーも「劣等人種」として、ナチス・ドイツの「ホローコースト」の犠牲者となった。

現在の主な居住地は、ヨーロッパ全域〜北アフリカで、約1,000万以上の人口を有する、と言われる。ロマは移動範囲によって、東部ヨーロッパ系「カルデラシュ」、中部ヨーロッパ系「マヌシュ」、南西ヨーロッパ・アフリカ大陸系「カレー」に大別される。

ロマは「ロマ語」を話す。ロマ語はインド・ヨーロッパ語族に属する言語で、元来文字はない。三大言語(方言)がある。

ロマは、独自の宗教は持たない。だがロマ・コミュニティにおける慣習と伝統を保持し続けている。これはヒンドゥの社会制度(カースト制度など)に基づいていると言われ、排他的/特異である。

そのため彼らが移動する地では、住民との軋轢が絶えず、差別され続けた。

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旧ユーゴ時代から、ロマは、セルビア人とアルバニア人に「差別」されていた。だがロマは、コソボ紛争直前まで、社会的に優位なセルビア人に協力していたため(協力せざるおえなかった)、アルバニア人から反発を受けていたが、手出しはできなかった。

1999年6月のNATO軍空爆集結で、アルバニア人難民と国内避難民(約150万人)、マケドニアやアルバニア共和国からの偽装難民(便乗難民)は、短時間で、コソボに帰還した。それから約1年間、隣国のユーゴスラビア・コソボ自治州全域(国連暫定統治下)では、アルバニア人等による「ロマに対する民族浄化」が始まった※アルバニア人は、セルビア系住民に対しても同様の民族浄化を行っている。

コソボへ帰還したアルバニア人難民、マケドニアやアルバニア共和国からの偽装難民(便乗難民)は、ロマに対して、強盗、放火、殺害、誘拐、集団強姦などを行い、ほとんどのロマをコソボから追いやった。行く当てのないごく一部のロマは、数少なくなったセルビア人居住区へ移り、UNMIKによって、隔絶された生活している。

ロマの言葉は、母語がサンスクリットから派生したロマ語であり、セルビア語は話せない。アルバニア人とアッシュカリィ(自称エジプト人も含む)は、全く違い系統であるアルバニア語である。やはりセルビア語を話せない者も多い。

ロマの居住地だったところには、アルバニア人と《アッシュカリィ》が住みついた。アッシュカリィは、ロマと判るような姓名を変え、ロマと同化していることを打ち消していた。アッシュカリーヤとロマの居住区も異なっていた。だがアッシュカリィも、アルバニア人からロマと“認定”されると、ロマ同様アルバニア人の餌食になった。これは2000年初冬から顕著になった。

※《アッシュカリィ》とは、アルバニア人と混血したロマとも、同化したロマとも言われる。自らは、ドゥレス近郊の沿岸部に難破した(825年頃)エジプト人兵士の末裔として認識し、自らを「エジプト人」と称する。言語はアルバニア語。宗教はイスラーム。

コソボに居残ったセルビア人、ロマ、アッシュカリィは、日常生活もままならぬ状況に陥った。近隣の村から、ある程度固まって「籠城」、要塞化するようになった。この「要塞」をNATO軍が警護している。彼らの外出は、襲撃を防止するため、NATO軍のエスコート(装甲車)付きでなければならない、ことになっている。

1999年6月以降、アルバニア人難民が帰還するとコソボに住んでいたセルビア人、モンテネグロ人、ロマがユーゴスラビア連邦共和国(主にモンテネグロ)に避難してきた。ユーゴスラビアに避難したロマ難民の数は、約80,000人とみられている。

※モンテネグロは、ユーゴスラビア連邦共和国の構成国。だが1998年6月以降、連邦政府も連邦諸機関も認めていない。

ロマとアッシュカリィは、ユーゴの他、隣国アルバニア共和国北部、マケドニア共和国など周辺国の都市部周辺に住んでいる。一部は、西側諸国に逃げた。

ロマとアッシュカリィを取り巻く状況(差別、貧困、雇用、教育問題など)は依然変わらず厳しい。特にロマは、他民族と隔離されて住んでいる場合がほとんどである。






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