《Bosnia and Herzegovina / Bosna i Hercegovina / Босна и Херцеговина》
ボスニア・ヘルツェゴビナを構成する、セルビア人・クロアチア人・ムスリム人(ボスニア人)とも、民族は「南スラブ人」である。外見や言語の違いはなく(表記文字のみが、ラテン文字かキリム文字と異なる)、民族の違いは宗教だけである(セルビア人=セルビア正教徒、クロアチア人=カトリック、ボスニア人=イスラーム)。 (2003年5月撮影) ボスニア人(ムスリム人) ユーゴスラビア社会主義連邦共和国時代、イスラームを信仰するムスリム(ボスニア人)の女性のほとんどが、Tシャツ&Gパンで闊歩していた。 だが民族主義者が「民族主義」を煽り、民族運動・独立運動が盛んになると、社会は“人種(所属宗教)が明確になるよう”な服を着ることを強要された。だが異宗教婚姻が多く、民族の混住が進んでいるサラエボは、平常通りに暮らしていた。 ボスニア紛争前のサラエボは、ボスニア人の比率は60%だった。ボスニア紛争(1992〜1995年)が終結すると、ほとんどのセルビア人、多くのクロアチア人がボスニア人主体の政府・行政を嫌って、サラエボを去った。入れ替わりに、ボスニア人難民が大量に流入した。そのため紛争後(1996年〜)のボスニア人が占める割合は90%にもなったと言われる。 宿のオヤジが言うには、「現在、ムスリム服(身体の線を隠す服、写真)を着ている若い女性は、家族や親戚がセルビア人かクロアチア人に殺されたか、家長がボスニア民族至上主義者だよ。今は生粋のサライリヤ(サラエボっ子)は少なくなって、他地域からの戦争難民(移民)ばかりだけどナ」、とか。 * (2003年5月撮影) * (2003年5月撮影) それにしても旧ユーゴ圏は美人が多い
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