《India / Bharat》

ドラヴィダ民族の男性
撮影場所:タミル・ナドゥ州ラーメーシュワラムの海岸にて

漁船に座る漁師

南インドの肉体労働者の標準服は、ルンギーと呼ばれる1枚布の腰巻きと、襟付きのシャツ。ルンギーは汗がベタ付かず、風通しがよく、風土に適した衣服である。湿度が高く酷暑のインドでは、ズボンは敬遠される(おしゃれ着、らしい)。インテリのインド人も室内ではルンギーを部屋着として愛用している。

ルンギーの下は、ぶりチン(パンツもはかない)。ルンギーは、南インドに限らずインド全土(除くごく一部の北部)でみられる。

■ドラヴィタ民族

主に南インド(タミル・ナドゥ@タミル語、カルナータカ@カンナダ語、アーンドラ・プラデシュ@テング語、ケーララ@マラヤーラム語)に住んでいる。概ね、色黒で小柄。インド全人口の25%を占める。

民族の起源や移動経路や時期など解明されていない。ドラヴィダ民族は、インダス文明(現在のパキスタン東部)の担い手でもあった、らしい。

南インドは、6〜7世紀頃に北インドのインド・アーリア文化の影響を受け始める。10世紀頃にヒンドゥ教が広がり、カースト制度も確立される。だが南インドでは支配者階級(バラモン、クシャトリヤ)が少なく、シュードラが圧倒的に多かったため、深刻なカースト問題は発生しなかった。

中世期には従来のヒンドゥ教から宗教改革運動が興り、著名な宗教家を輩出した。19世紀末〜20世紀以降、北のインド・アーリヤ民族の支配から脱皮すべく、「ドラヴィダ民族主義運動」が活発化する。

土着レベル(建築、宗教儀礼など)では、南インド特有のドラヴィダ文化が残った。南インドのヒンドゥ系王朝パッラヴァ(6〜9世紀末)の頃、インドネシアや東南アジアとの海上貿易が盛んだったため、これら地域にヒンドゥ教が広まり、ドラヴィダ様式のヒンドゥ教寺院が建てられた。15〜16世紀には、中国や中東、さらには欧州からも交流が始まった。

現在も、海外で活躍するドラヴィダ民族は多い。






inserted by FC2 system