《Serbia and Montenegro / Србиjа и Црна Гора / Srbija i Crna Gora》

プレズレンに住むアルバニア人の子供
撮影場所:プレズレン

(セルビア人が多く住んでいた居住区にて)

なかなか凄いところに住んでいる子供たち

子供が5人以上いる家庭が多い

1999年6月、NATO軍空爆終了直後から、セルビア系住民は、アルバニア人による報復を恐れ逃げ出した(難民となった)。プレズレン市内の山側のこの地域は、セルビア系居住区だった。

この地域に住むアルバニア人は、セルビア治安部隊やNATO軍の空爆などによって自宅が破壊されたアルバニア人難民と、隣国アルバニアやマケドニアに住んでいた一部のアルバニア人が、どさくさに紛れて入り込んだ偽装難民/便乗難民の一家が多い。

移住してきたアルバニア人は、セルビア系住民の住宅に住み着いている(乗っ取った)。一部のアルバニア人は、他のセルビア系家屋にあった家財道具を強奪し、家屋本体を破壊しながら放火した。

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コソボ自治州が出来た時(1945年)に占めるアルバニア人は約6割前後だったが、アルバニア人は部族社会であり、多産奨励&大家族主義の慣習もあって人口は急増。1961年にはアルバニア人が67%、1981年には80%以上、1991年(推定)ではアルバニア人82.2%(セルビア人10%→1980年代より流出傾向にある)。コソボ全体の人口も、ここ30年間で96万人から195万人に急増している。






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