《The Former Yugoslav Republic of Macedonia / Република Македониjа》

ロマ(ジプシー)の一家
撮影場所:スコピエ近郊

マケドニア語で、ロマは「ツィガニン」と呼ばれる。語源は“不可触民”をから。なおバルカン半島では、定住するロマをアルリア Arlia / Erlia と呼ぶ。

父、母、孫、息子
(娘はオランダへ出稼ぎ中)

ロマの言葉は、母語がサンスクリットから派生したロマ語であり、基本的にはマケドニア語(ほとんど類似しているのがセルビア語、クロアチア語)は話せない。写真の家族は、ロマ語の他、ドイツ語とイタリア語が話せる。

ロマを取り巻く状況(差別、貧困、雇用、教育問題など)は依然変わらず厳しい。特にロマは、他民族と隔離されて住んでいる場合がほとんどである。2001年にはマケドニア人とアルバニア人との間の紛争が勃発し、緊張関係は今も続いている。

この一家が住むロマ・コミュニティーでは、一家の誰かが西欧諸国で出稼ぎして、その資金をマケドニアで貯蓄する。ゆえに、どの家も内部は立派!である。


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■ロマ

西暦10世紀頃、インド北西部ラジャスターン地方に住む一部の人々は、西へ西へと「流浪の旅」を始めた。この人々をロマ(ジプシー)という。隣国パキスタン〜ペルシャ〜トルコを経てバルカン半島に現れた(14世紀)。

15世紀後半から「迫害」が激しくなり、放浪生活や更なる移動を余儀なくされた。ワラキア公国・モルドヴァ公国ではロマの奴隷取引もあった。17世紀には、アフリカ大陸や、ポルトガルから船に乗せられて、ブラジルに追放されたロマもいた。19世紀後半にはアメリカやオーストラリアなどへの大規模な移住があった。

第二次世界大戦中は、ユダヤ人だけではなく、実に多くのジプシーも「劣等人種」として、ナチス・ドイツの「ホローコースト」の犠牲者となった。

現在の主な居住地は、ヨーロッパ全域〜北アフリカで、約1,000万以上の人口を有する、と言われる。ロマは移動範囲によって、東部ヨーロッパ系「カルデラシュ」、中部ヨーロッパ系「マヌシュ」、南西ヨーロッパ・アフリカ大陸系「カレー」に大別される。

ロマは「ロマ語」を話す。ロマ語はインド・ヨーロッパ語族に属する言語で、元来文字はない。三大言語(方言)がある。

ロマは、独自の宗教は持たない。だがロマ・コミュニティにおける慣習と伝統を保持し続けている。これはヒンドゥの社会制度(カースト制度など)に基づいていると言われ、排他的/特異である。

そのため彼らが移動する地では、住民との軋轢が絶えず、差別され続けた。


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