《Syrian Arab Republic》

クルド人
撮影場所:デリゾール

シリア北部にはクルド人が多く住む

シリアの北部(特にシリアとトルコとイラクの国境付近)は100万人以上のクルド人が住んでいる。

シリア政府(警察/軍/諜報部)は、トルコ政府同様、国内のクルド人を冷遇し続けている。イラク戦争後(2003年3月〜5月)、イラクのクルド人とシリアのクルド人が共闘して“独立運動”を起こすことを恐れているため、関係は緊張している。

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■クルド人

トルコ、イラン、イラク、シリアの4カ国(アルメニアにもかかっている)が国境を接する山岳地帯に住んでいる。総人口は推定2500万人。半数以上がトルコとイラク領内に居住している。クルド人の90%がイスラム教スンニ派。

メディア人(インド=ヨーロッパ語族)がアッシリア帝国ニベアを陥落した紀元前612年、をクルド暦の元年にしている。11世紀半ば以降「クルディスタン」という地名が使われてきた。だが19世紀まで統一した国家を持たなかった。

19世紀、オスマン帝国が弱体するとクルド人は、オスマン帝国からの分離独立運度がおきる。クルド人は、アナトリア東部(トルコ東部とシリア北部)〜メソポタミア平原北部(イラン北部)〜サグロス山脈北西部(イラン西北部)一帯に、独立国《クルディスタン》建国を訴えた。

クルド人は、第一次世界大戦前にはオスマン帝国とペルシャ帝国に自治を認められていた。第一次大戦でオスマン帝国が崩壊した後の1920年代、ヨーロッパ諸国は「クルド人はいずれ独立させてやる」と約束したが、結局守られなかった。

1925年、北クルディスタンはトルコ、西クルディスタンはシリア(当時はフランスの統治下)、東クルディスタンはペルシャ帝国(パーレビ朝)、南クルディスタンはイラク(当時はイギリスの統治下)に分割された。

第2次世界大戦開戦直後、旧ソ連の後押しによってイラン北西部にクルド人国家が誕生するが、1年でイラン軍によって崩壊させられた。

クルド人はいづれも反政府運動を起こしたため、各政府はクルド人を弾圧し続けている。






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