《中華人民共和国》

ウイグル族(中国語:回鶻、維吾爾、畏兀児など)Uighur
撮影場所:新疆ウイグル自治区カシュガル、ホータン

ウイグル族は中央アジアのモンゴル〜東トルキスタンを支配したトルコ族(テュルク族)の始祖と言われる。主に、パミール高原以東の東トルキスタン(ウイグル語:Sharqiy Turkistan、中国語:東突、中央アジアを示す)と呼ばれる、中華人民共和国領新疆ウイグル自治区に住む。

とにかく人なつっこく、親切。写真大好き

ウイグル族の言語は、アラビア文字、チャガタイ・トルコ語《ウイグル語》が共通語になっている。現代ウイグル語では、アラビア語を改良して作られた32の字母が使われている。新疆ウイグル自治区に住むウイグル族は、推定一千万人弱といわれる。

ウイグル族は、モンゴル高原のセレンガ川上流域に興った、とされる(5世紀以前)。九姓鉄勒 Toquz Oguz トルコ系の「突厥」に代わって、744年から約100年間、モンゴル一帯(ゴビ砂漠北部)に遊牧国家「古代ウイグル王国」を形成し、支配地をトルキスタンにまで拡大した。だが840年、王国の内紛につけ込んだキルギス軍の攻撃で滅亡し、ウイグル族は「四散」した。

この頃のウイグル族は、主にイラン方面から伝来した「マニ教」を信仰していたが、トルコ族のもつアーリア系西方文明と、漢民族の東方文化を融合させた「独自の文化」を創り上げた。

主なウイグル族は、東トルキスタンの東西に2つの王国を並立して再興した。(1)一部は南下したが唐の成敗を受けて併合される。(2)一部が河西回廊(現在の中国甘肅省張掖付近)へ移住し《甘州ウイグル王国》を建国するが、1028年、西夏に併合される。(3)多くが天山山脈東麓〜タリム盆地のオアシス(現在の新疆ウイグル自治区)に移住し、《西州ウイグル王国/ウイグル高昌国》を建国。仏教、キリスト教も広まる。

《西州ウイグル王国/ウイグル高昌国》は、のち国力が衰えるも、その後も「地方政権」として命脈を保っている。《西州ウイグル王国/ウイグル高昌国》のウイグル族は、独自の慣習を守り、言語はチャガタイ・トルコ語を使っている(文字表記はアラビア文字)。

そして中国の新彊ウイグル自治区のウイグル族は、《西州ウイグル王国/ウイグル高昌国》の子孫が多い

ウイグル族の男性

壮年になると「剃髪」して髭を伸ばす習慣がある、とか

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10世紀頃、中央アジアに進出してきたカラハン王朝(960〜1132年。西走したウイグル族の王朝、王はイスラームに改宗する)に影響されて、西域に住むウイグル族も、イスラーム化し始める。ウイグル族のイスラーム化は西から東へ進んでいく。18世紀までには、仏教を信仰し続けていたトルファン(タリム盆地)、つまり「西州ウイグル」のウイグル族もイスラーム化した。

新疆ウイグル自治区に住み続けているウイグル人は、その顔立ち・肌の色は、アーリア系の特徴を色濃く残す(彫りが深い、色白が多い、目の色は緑・青・灰・薄茶、など)。トルコ人そのもの!といった人もある。現在は、少数民族@ウイグル族として中国政府に登録している。

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一方、現・甘肅省の河西回廊に住んだウイグル族は、漢民族系との混血化が進んだ(顔建ち・肌の色は、アーリアの血が僅かに残る漢族系)。彼らは、少数民族@回族として中国政府に登録している。

ウイグル族が信仰するイスラームは、イスラーム・スンナ派に属すとしているが、実際は、シーア派的教義の要素も取り込んだ「土着的なイスラーム」、らしい。

現在、新彊ウイグル自治区にモスクが23,000余カ所、聖職者は29,000人いる。文化大革命が終了した1980年代以降、メッカを巡礼した中国のムスリムは4万余人に達している、とされるが、独立運動が活発なウイグル族への「メッカ巡業」の許可はほとんど出ていない。


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