《 Bosnia and Herzegovina 》=BiH

ボスニア地方の旧家
撮影場所:FD連邦、首都サラエボの旧市街

(2002年9月撮影) 

ボスニア地方の旧家が集まる街角

ボスニア地方には、トルコの影響を受けた大型の民家がある。

これらの家は、ほとんどがボスニア人(ボスニアのイスラームを信仰する民族)の「富豪」の旧家で、何世代かの大家族が住んでいる。これほどの規模の家が、まとまって残っているのは、サラエボの旧市街ボスニア人街の《マハラ》くらいしかない。

同じトルコ系伝統住宅でも、コソボ(自治州)のアルバニア人住宅は、窓はやや小さく、数も少ない。一方、その隣国マケドニアのマケドニア人住宅は、サラエボ同様、窓もやや大きく、数も多い。

オスマン帝国の軍人階級出身者(ボスニアの外からやってきたイスラーム教徒=ムスリム)は、軍役奉仕の代償で土地をもらい、ボスニアの地主となって、これを子孫に引き継いだ。オスマン帝国の支配地では、ムスリム地主・キリスト教徒が半ば農奴、という関係がほとんどだった。ムスリムはエリート層とよばれた。

ボスニアでは、ボスニアの外からやってきたムスリムが大土地所有者(地主)、キリスト教徒が農奴、ユダヤ教徒が商業・流通関係に従事、という関係がほとんどだった。

だがサラエボでは、商業や手工業の中心地として、ボスニア最大の都市に発達した町ゆえ、ギルド(同業者組合)が力を持った。有力商人やギルドのリーダーは、本来独占するはずの、ムスリム地主の権力に食い込み、共にサラエボを仕切った。

故にサラエボの旧市街の住宅地《マハラ》にある豪邸は、他地域と異なり、全てがムスリム地主層の所有とは限らない。

オスマン帝国の支配が終わると、ハプスブルク帝国(オーストリア=ハンガリー二重帝国)の支配になった。だがハプスブルク帝国は、オスマン帝国時代の土地制度を追認したため、ムスリム地主層は残留した。

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サラエボの中心街《チャルシャ》は、ミルヤツカ川沿いにあり、商業区域・官公庁の地域にあたる。旧市街はバシチャルシャと呼ばれ、オスマン帝国統治時代の面影を色濃く残す職人街。

この中心街を取り囲むように、山腹には“旧市街地”の住宅街群《マハラ》≒マハレ、が複数ある。《マハラ》は宗教別=民族別に分かれており、家の造りも異なる。

《マハラ》の中で住民は、際だって閉鎖的な生活を送っており、開放的な中心街《チャルシャ》と全く異なる。 BiHでは、民族の違いを明確に区別する手段は、宗教の違いだけしかなかった。それゆえ、内なる生活空間だけは、頑なに守られた。

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住宅街群《マハラ》の上は、何もない丘陵・山になっており、サラエボと外界とを隔絶する役目を果たしている。サラエボを構成する丘陵・山を越えると、諸民族が都市部ほど混住していない、セルビア系住民(セルビア正教徒)が中心の農村が広がる。

2階の出窓左側に銃弾痕が多く残る

ボスニアは、伝統的に牧畜民族の慣習が残っており、《家父長制度》はその名残り。民族的には、『実利よりメンツを重んじる』傾向がある。

古い慣習に縛られる社会に住む、ボスニアのモスレム人男性は、女性を“所有物”と考え、“処女”の女はもっとも価値のある財産、と考える。故に、家長は自分の妻を、他人に見せることはほとんどなく、未婚の娘(処女)は家から出すことすら少ない。

その為に、ボスニアの富豪は、家を男性専用(その奥に家族共用の部屋)、女性専用に分けている。

旧家の内部は広々としていて立派。ボスニア紛争時代には、(生活のため)調度品が売られたり、住人が避難したりして荒廃したが、現在は、それなりに復興し、かつての面影が残る。

一般家庭では、女性の許可があれば、比較的容易に家庭訪問ができる。だが撮影は難しかった。

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1991年6月頃から始まった、旧ユーゴ分裂解体に伴う《ユーゴ紛争》では、ボスニア地方の《家父長制度》を巧みに利用した《集団強姦》が行われた。

一族に守られている女性を、《強姦》することによって、家長やその一族にも屈辱を与えるとともに、強姦者側の要求をとおす効果もあったようだ。例えば、一族の女性が家族の前で強姦(輪姦)されたのち、一旦、強姦者は去る。数日のちに強姦者は兵器類を持った多人数で現れ、家と土地の明け渡しを要求する。

家族の前で強姦された女性の家父は、これ以上「家名を汚されること」を恐れ、要求に応じる‥‥。しかも後日、被害者は(家族の説得もあり)、「家名を汚さない」ために、被害者として名乗り出ない(出にくい)から、加害者にとっては好都合だった。

これらは、写真のようなサラエボの旧家の多くが体験したこと、だそうです(次ページの旧家の女性、談)。

犠牲者は、調査によれば、6歳から80歳と、ほぼ全ての年齢層に及ぶ。家族の前で強姦(輪姦)されて一時的に解放される女性。強姦(輪姦)されてから殺される女性。家から捕らえられて収容所に入れられて徹底的に強姦(輪姦)された上で、売り飛ばされるか、妊娠させられるか、殺されるか、された女性。

強姦の被害で最も多かったのが、軍事的に非力なモスレム人勢力の女性だった(勿論、クロアチア人女性、セルビア人女性にも被害あり)。








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