《 Republic of Lithuania 》

カライメ族(ユダヤ教カライ派信者)の家
撮影場所:リトアニア、トラカイ Trakai

カライ派教徒の家や宗教施設は、いずれも通りに面している部分に、平行に配置した《3つの窓》がある。外壁は、黄色や水色、エンジ色と華やか。

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カライメ族 Karaites / Karaimai とハザール王国

カライメ族は、“ハザール王国”の王族の末裔とも言われる。15世紀始めに「傭兵」としてクリミヤ半島からリトアニアのヴィリニュス&トラカイ(かつての首都)に移住。トラカイには約150名が住む。宗教は「ユダヤ教カライ派」。

クリミア半島東は、紀元前2世紀にはユダヤ人社会(ギリシャ語を話すボスフォラス王国)が形成されていた。

元々は、6-9世紀に南ロシアの草原地帯で勢力を誇った、アルタイ系遊牧民族(中でもトルコ系・フン族)で、総称としてのハザル族 Khazar の一派と思われる。7世紀前半には、同盟国ビサンチン帝国とともにササン朝ペルシア(現イラン)と戦う。7世紀後半には、クリミア半島の大半を支配するハザル・カガン国を形成する。

8世紀半ばからアラブ軍との戦いが始まる。740年頃、ハザル・カガン国のうち、コーカサス&ボルガ川下流を支配する《ハザール王国》の王族(カガンなど)は、ユダヤ教カライ派に改宗した。

9世紀になると戦いは沈静化し、カスピ海に注ぐボルガ川下流の首都アティルは国際貿易都市として発展。住民は、イスラーム(ムスリム)、キリスト教徒、ユダヤ教徒、多神教の信者も多く住んでいたらしい。しかし、9世紀後半より国力は低下し、近隣諸国から圧迫を受けて、965年頃、事実上崩壊。

1016年、キエフ公国(with ビサンチン帝国)により滅亡。弾圧・圧政により住民の多くはキリスト教に改宗した。しかし一部のユダヤ教徒は改宗せず、その一部の人々がカライメ族と言われる。1989年のソ連崩壊時にクリミア半島に残っていたカライ派信者は数千人だったらしい。

※1939年、ナチドイツ内務省は「カライ派をユダヤ人としない」と決定。カライメ族は、ナチスドイツからの迫害(ホロコースト、ユダヤ人差別)から免れた。






2001年8月撮影


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