《 Czech Republic 》

チェスキー・クルムロフの伝統的な商家
撮影場所:ボヘミア地方、チェスキー・クルムロフの旧市街

(2002年8月撮影)

岩づくり、骨組みは丸太。
どの部屋も6〜8畳間程度で狭いが、地下1階地上4階の家が多い。地下室は、水害にそなえてつくられているが、普段は倉庫になっている。

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(商家の内部)

家の内部は、スペイン南部や北アフリカ一帯で見かける作り。特にチュニジアの中部地方の家に酷似している。白い部分は、漆喰塗り。

この建物は、プチ・ホテルになっている。

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こちらは「民家」

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チェスキー・クルムロフ(世界遺産):チェスキー・クルムロフとは、クルムロフが古いドイツ語で「ねじれた形の川辺の草地」の意味を指し、15世紀にチェスキー「チェコ」が頭に付け加えられた。名称そのまま、U字形に蛇行したヴルタヴァ(ドイツ語:モルダウ)川に発展した古都である。U字部分には険しい崖もあり、起伏が多い。町はとても小さい。

絵はがき:写真右上がチェスキー・クルムロフ城)

13世紀、南ボヘミアの豪族が、この地に城を築いたのが文献に登場する始まり。河川貿易、工芸、銀鉱山で栄える(16世紀に支配したヴィテク家の時代が栄華を極めた)。何度となく改修が重ねられ、それぞれの時代に流行した様式(ゴシック、ルネッサンス、バロック様式)を合わせた巨大な複合建築の城、旧市街地に散在する教会や修道院が、チェスキー・クルムロフの狭い敷地内に美しく配置されている。

この町の大きな建築物の外壁には、《騙し絵》なるものが書かれていて興味深い。

チェコが、チェコ・スロバキアだった時代、住民は「新市街」の(社会主義政策国家独特の)団地群に移住した。旧市街は、住む者がいない忘れ去られた過疎村になった。だが1992年、チェスキー・クルムロフが「世界遺産」に登録されるや、脚光を浴びることになり、住民も帰還した。現在の人口は、12,000名余り。








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