《 中華人民共和国 》

▼行き方

「高頭郷」ガオトウ から徒歩圏内、承啓楼の隣の隣。
「高頭郷」までは、廈門またはからの“永定/下洋”行きのバスが「高頭郷」や、「高頭郷」の外れにある「承啓楼」の前に止まることが多い。廈門またはからの“永定/下洋”行きのバスは、経由地(ルート)が色々あるので、事前に確認が必要。他、近隣の町からのミニバスなどの便も多い。

客家方楼:五雲楼 ウーユンロウ
撮影場所:福建省永定県高頭郷

(2004年1月撮影)

写真左端は“世澤楼”
池に沿って建つ小屋は、豚小屋

五雲楼:4階建て、《内通廊式土楼》。典型的な方楼。承啓楼(円楼)、世澤楼(方楼)、五雲楼(方楼)と、3軒並んで建っている。3楼とも、江さん一族が建てた。一番古いのが《五雲楼》で、明代の建築物で約500年を経過している。

五雲楼は、3階建ての方楼として造られた。
江一族は、一族の人口が増えたため、五雲楼の次に世澤楼を造り、承啓楼を造った前後に、五雲楼の3階の上に、もう1階を付け足して(増築)4階建てとなる。江さん一族は、とんでもない人数が固まって住んでいたらしい。

(2004年1月撮影)

五雲楼の4階(増築部分)

(2004年1月撮影)

五雲楼の中庭

2001年3月に比べ、2004年1月に再訪した時は、承啓楼の入場収入を一族の土楼の修復にあてられたため、修復が開始されていた

放棄された五雲楼、世澤楼

現在は、1世帯が住むだけの《五雲楼》は、非常に大きい方楼。荒れ果てた内部は、まるで幽霊屋敷のよう。だが2004年1月に再訪したとき、かなり修復されていた。同族が住む承啓楼での入場料収入(1人30元)でかなり潤ったらしい。

一応、住んでいる世帯の家族が、大門から階段入り口に至るまでの通り道のみ、整備している(あたり前か)。住んでいるのは、大門を入って一番奥の主楼(写真中央部分)。住人にばったり出くわしたが、推定30歳代後半の男性で、家族持ち。2世帯分を占有している。

放棄された部屋には、鍋などの調理道具などもある。多くの世帯は、近いところでは、廈門、広州などに出稼ぎに行ったそうだ。文化大革命(1966-1977年)直前には、ミャンマー(ビルマ)、ベトナムなどに移住した者もいるとこと。

一方、承啓楼(円楼)の隣の《世澤楼》には、数世帯が住んでいる。
いづれの世帯も老人がいる世帯だった。こちらの楼も大きいが、人手が多い分だけ、中庭部分だけはすっきりと整頓されていた。

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住居は、メゾネット式(2つ以上の階を垂直にまたがる集合住宅の様式)。

入口は《大門》タアメンといわれ、この大門をくぐると門庁 マンティン があり、祖同(祖堂)ツウタン へと直線の通路で通じている。五雲楼の門は、1カ所のみ。

基盤には、水害から守るために《玉子石》が積まれている。壁の厚さは、通常下部で1.6m位、上部では60〜70 cm となっている。房(部屋)は、概ね、間口(前面の幅)が2.5〜3m、奥行きは3〜5m程度。
四隅の房が、構造上、広くなっている。

1階はすべて厨房と食堂。2階は全て糧庫、3階と4階が居室(4階建て以上の場合は、家長の寝室に割り当てられている)となっている。

五雲楼は《内通廊式土楼》で、2階以上の各部屋(各世帯)を横につなぐ、《走馬廊》と呼ばれる回廊を持つ。方楼の内周をぐるりと囲っていて、内側全体をひと目で見渡すことができる。

《走馬廊》ツオウマアラン を持つ円楼・方楼は、外壁のみ土のブロック(土台は石組)でつくられ、内部は杉材など木材100%でつくられる。隣家との壁は薄い木材なので、隣家からの音漏れがある。《内通廊式土楼》は、各世帯のプライバシーを重視するより、集団防衛(火事も含む)のための対処を重視している。

しかし土楼は、夏は涼しく、冬は温かい。夏は、ぶ厚い土壁が陽射しをさえぎり、冬は風と冷気をブロックする。雨期には、土壁が湿気を吸い取る。







2004年1月撮影


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