《Bulgaria / Република България》

ユダヤ教のシナゴーク
撮影場所:ソフィア

1909年建立

ブルガリアでは、ユダヤ教徒は人口の0.1%を占める。ほとんどがスペイン系のセファルディム。彼らはキリスト教徒による迫害で、15世紀末までにイベリア半島から逃れ、オスマン帝国領内各地(北アフリカ、エジプト、バルカン半島、小アジア半島)に移住してきた。

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1878年の露土戦争により(サン=ステファノ条約)、ブルガリアはオスマン帝国からの分離、政治的自治を獲得したブルガリア公国を建国する。1908年には「ブルガリア王国」として独立宣言を行うが、事実上、ロシアの保護下にあった。

第二次世界大戦中、東欧諸国のユダヤ人は激減した(ナチス・ドイツ等によるユダヤ人撲滅政策などにより、殺害・迫害、または移民になって去った)。枢軸国側につかざるを得なかったブルガリア王国だが、連合国側のロシアには宣戦布告しなかった。

さらにブルガリア王国ボリス3世は、ユダヤ人のポーランド移送に賛成しなかった。このためブルガリア在住のユダヤ人66,000人のうち55,000人の命が救われたとされる(ブルガリア・ユダヤ人協会の発表)。

第二次世界大戦後、共産主義政権になった東欧諸国では、今までのような反ユダヤ政策はとらなかったものの、民族集団として認定はされず、信仰生活は著しく制限された(除くルーマニア)。

1989年頃、東欧諸国の共産主義体制は相次いで崩壊したが、ユダヤ人は戻って来なかった。

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