《Hellenic Republic》

ギリシア正教会:メガロ・メテオロン修道院
撮影場所:メテオラ

この岩の高さは534m
(矢印下の洞窟は、修道士の修行場だった)

メテオラ最大の修道院。かつてメテオラが繁栄していた時は、行政を司っていた。14世紀に建てられ、16世紀にかけて増改築された。

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矢印の内部

滑車を使い、修道士や荷物を上げ下ろしする

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メテオラは9世紀頃から隠者等が、岩の割れ目や洞窟に住みついて、宗教を守り抜いていた。この頃、地中海沿岸地域ではキリスト教は迫害されていた。メテオラの原語メテオランは“空中に浮いている”という意味。

ビザンチン時代後期の11世紀頃、セルビア王国や、つづくオスマン帝国時代に、戦乱や異教徒迫害を避けるため、多くの修行僧がメテオラにやってきた。修行僧は「神との交信/合一」を求めるために、世俗との交信を一切断つ生活を行った。

メテオラの奇岩群(高さ20〜600mくらい)は、こういう修行僧の聖域になり、集団生活を行う僧院が建てられるようになった。統治者の保護もあり、僧院建築は15〜16世に紀最盛期をむかえ、その数は24。いづれもビサンチン様式で建てられた。

修行僧は、絶壁に垂直のハシゴを立てたり、張り出した滑車に縄袋を吊り、これを上下させて、建築材料、食料、僧を運んだ。だがメテオラ一帯を治めていた統治者からの保護が受けられなくなってくると(18世紀半ば〜19世紀末)、修行僧は他の地に去っていった。

今日では6つの修道院にのみにしか修行僧はいない(うちひとつは、尼僧院)。1988年に世界遺産に登録された。








2003年10月撮影

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