《イラン・イスラム共和国》

イランのアルメニア正教会《ヴァーンク教会》
撮影場所:エスファハン、ジョルファー地区

(1997年4月撮影)

かつてモスクだったヴァーンク教会
ドームの先端に小さな十字架が建っている

アルメニア人:16世紀後半〜17世紀前半、サファヴィー朝のアッパース1世は、アゼルバイジャンとイランの国境のアラス河畔《ジョルファ》から、優れたアルメニア人の職人・商人や家族(6万人余、家族を含めると13万人、諸説あり)を集め、コミュニティを作ることを許可する代わりに、遷都したばかりのエスファハンの首都造営に従事させた。サファヴィー朝は、彼らが信仰するアルメニア正教を保護した(現在も保護している)。

エスファハンのザーヤンデ川の南側に、今でも《アルメニア・コミュニティ》がある。

アルメニア地区に住むアルメニア人女性は、膝丈のスカートをはき、髪の毛をスカーフ(ベール)で覆わない人も少なくない。ただし、コミュニティから出るときは、イランのイスラームの信者と同じように、くるぶしが隠れるくらいの、長いコートを着用し、髪の毛をスカーフで隠す。

アルメニア人は、コーカサス地方が出身地ゆえ、肌の色は「白」、髪の毛は黒。伝統的に、アルメニア人の苗字は最後に、「アン」(例えば作曲家のハチャトリアン)や、「ヤン」が付く。

1997年4月撮影

ヴァーンク教会の内部

ヴァーンク教会は1692年完成した。外観の質素さとは正反対に、すばらしく精密な装飾がなされている。教会の中には、新約聖書の物語が絵で描かれている。ジョルファー地区には、アルバニア正教会が13戸ある。

アルメニア正教は、東方正教会の一派。教義的には単性論派。典礼にはアルメニア語を用いる。推定350万人がアルメニア共和国とその近隣諸国に住み、推定50万人が中東諸国(レバノン等)に住んでいるとされる。

※アルメニアは、国家としても、民族としても、世界で最初に、公に「キリスト教を受容した」ことを宣言した国(301年)。

1998年8月撮影

(ヴァーンク教会の正面)

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イランがもっとも輝いていた時期:サファヴィー朝(1501〜1736)

イスラーム神秘主義(スーフィズム)で、戦闘的シーア派系教団《サファヴィー》を母胎にして、建国された王朝。シーア派の《12イマーム派》を国教に定めた。

建国直後から、オスマン帝国(1299-1922)や、中央アジアのウズベク族シャイハーン王朝(1500-1599)との抗争、王朝内内紛などがあり、国は安定しなかったが、16世紀に即位した5代目国王アッバース1世(1571-1629、在1587-1629)の治世時で、内外の問題が解決され、対外交易などの成功で、全盛を迎えた。

※イランには、イスラームの信者、それも圧倒的にシーア派信者が多い(1990年での統計では、シーア派93%、スンナ派5%)。ごく少数だが(全体の2%)、キリスト教徒(アルメニア正教会)、ユダヤ教徒、ゾロアスター教徒などがいる。

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