《イラン・イスラム共和国》

Masjed-e Emam(イラン革命前までは Masjed-e Shah )、エイヴァーン
撮影場所:エスファハン

(1998年8月撮影)

《エマーム広場》かつての“王の広場”に面し、Masjed-e Sheykh Loft-ol-lah とともに、イランを代表する壮大なモスク。

サファビー朝アッパース1世の命により、1612年に着工し、1638年に完成した。青を基調とした装飾タイルが、全面に貼られている。《エマーム広場》の入り口から撮影。

(1997年4月撮影)

エイヴァーン(装飾的な意味合いの強い門)は、大金持ちの寄進者が私費で建てたもの。1611年に着工し、1616年に完成した。入り口天井の《イワーン》は、モザイクタイルで組み合わせて作ったもの。お見事、である。

このエイヴァーン(門)内の通路は45度に曲がるようになっており、その先には中庭を経て、礼拝堂が配置されている。

タイルで外壁を覆う、ペルシア圏(イラン)文化

14〜15世紀頃から、ドームや外壁をタイル(主に、四角い単色タイルを規則的に並べる方法)で覆うようになった。ティムール朝下の中央アジア(ウズベクなど)で青いタオルを使い始めてから、アフガニスタン、イラン、イラク南部に伝わっていく。

隣国トルコでは、タイルは内部装飾につかい、アラビア半島ではほとんど使われない。マグレブ(北アフリカの地中海沿岸地域)では、青系単色タイルではなく、全く別のタイルを部分的に用いる。

(内部につづく→)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

青のタイル

シーア派では、《青》は正義の色、《赤》は逆賊の象徴する色、とされている。

680年、《カルバラの悲劇》のとき、シーア派ムスリムがイスラーム共同体の《カリフ》として担いだ、アリーの2名の息子(預言者ムハマンドの娘ファティマとの間の子供)のうち、唯一生き残っていた Husayn (622-680、第3代イマーム)の軍隊は、《青》を旗印として戦った。一方、敵対するウマイヤ朝軍(スンナ派)の軍隊は、《赤》を旗印として戦った。

1979年2月、イラン・イスラーム革命が成立。
政教一致国家の建設を目指すホメイニ師(1900-1989)は、民主的穏健派(民主共和国などの建設)の意見を封じ込めるために、この《青》と《赤》を巧みに利用した。

即ち「イラン・イスラーム共和国」という国名に賛成する者は、《青》の投票用紙を投じ、反対者は《赤》の投票用紙を投じさせた。敬虔なシーア派ムスリムでも「イラン・イスラーム共和国」に賛成しかねる者も少なくなかった。だが、逆賊を象徴する色の《赤》を投じることは出来なかった。これが例えば《黄》なら、ホメイニ師が以後、政教一致国家をつくることは出来なかったかもしれない。

結果、《青》の賛成票は98.2%獲得。ホメイニ師の心理戦勝ち、だった。

シーア派のモスクは、ドームの先端にファティマの手(ぱー)が掲げられていたり、ドームに書かれた文字で区別できる。

inserted by FC2 system