《イラン・イスラーム共和国》

Kakh-e Chehel Sotun (チェヘル・ソトゥーン宮殿)
撮影場所:イスファハン、セパーフ通り

1647年、アッパース2世時代につくられた瀟洒な宮殿で、主に迎賓館として使われていた。テラスの屋根は、20本の柱で支えられている。
当時、柱は鏡で覆われていた、そうだ。

テラスの正面は、細長い池があり、この20本の柱が水に映って合計「40本の柱」がある、という意味の名称らしい。庭園だけはアッパース1世時代に造られた。

この宮殿と、《エマーム広場》にあるアーリー・ガープー宮殿は、地下道でつながっている。

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チェヘル・ソトゥーン宮殿

イスラーム圏では珍しく(?)、現在6枚の絵画が残っている。
宴の絵は3枚あり、ウスベク、インド、オスマンの王が、サファビー朝に援助を請うために訪れた時のもの。戦闘の絵も3枚あり、オスマンとのものが2枚、インドとのものが1枚。

※このチェヘル・ソトゥーン宮殿の隣、セパーフ通り沿いに「国立歴史博物館」がある。ここには、イラン・イスラーム革命の様子や、イラン・イラク戦争の写真、化学兵器でやられた人の写真や兵器も展示されている。








2001年3月撮影
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