《Kingdom of Nepal / Nepal Adhirajya》

アル・アリスタジアム Al Ahli Stadium
撮影場所:ドーハ

ドーハの悲劇の舞台
アルアリスタジアム

悲劇はロスタイム、手前のゴールネットでおきた

日本代表2−2イラク代表

三浦和良(5分)ラディ(54分)中山雅史(69分)
そしてオスラム(90分)

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得点ボード

「ドーハの悲劇」のアル・アリスタジアムを本拠地にしている、カタール・リーグのチームは「アル・アハリ」(緑と白のユニフォーム)。弱小チームでサポーターはほとんどいない、とか。

スタジアムは非常にボロい。

●ドーハの悲劇

1993年10月28日、FIFAワールドカップ・アメリカ大会(1994年)アジア地区最終予選(サウジアラビア、韓国、日本、イラク、イラン、北朝鮮)の日本代表の最終戦。対戦相手はアジア最強の呼び声が高かったイラク。日本もイラクもこの試合で勝てば、悲願のワールドカップの出場が決まる大事な一戦だった。

最終戦は、3試合同時刻に開始された。アジア枠は「2」だった。日本での生放送はテレビ東京が担当した。視聴率は平均48.1%、瞬間最高58.4%と記録的なものだった。

日本は前半5分にカズ(三浦知良)の先制点でリードしたが、前半終了間際のロスタイム。ラディ選手に得点を決められて追いつかれた。後半はイラクが試合を支配した。しかし後半24分、ラモスのパスを受けたゴン(中山雅史)の、限りなくオフサイド臭い得点で、2ー1と日本が再びリード。主審は明らかに日本びいきだったのだが…。

ロスタイム、武田のパスがイラクの選手に渡ったものの、なんとかコーナーキックに逃れた。だが左コーナーからのコーナーキックは、定石通りのゴールポスト前へのFKではなく、意表をつくショートキックだった。

日本のDFは不意をつかれてしまい、後半45分17秒、オスラム選手にあっという間に同点ゴールを奪われて、17秒後にそのままホイッスル。

武田と交代してベンチに下がっていた中山が頭を抱えて倒れ込む。日本代表イレブンはピッチに倒れ込んだ。ピッチに倒れこんで号泣する日本代表イレブンを、オフト監督は沈痛な表情で1人ずつなだめていた。

結果、勝ち点7のサウジアラビア、日本と同じ勝ち点6点ながら得失点差で上回る韓国の出場が決定。日本はワールドカップ出場は出来なかった。

韓国は日本とイラクが引き分けても、得失点差が3点以上で勝利した場合のみ、W杯への出場が決まる。韓国は北朝鮮相手に3点差で勝ち、最終戦を終えた。しかし日本 vs イラク戦はロスタイム直前まで日本が勝っていた。半ば出場を諦めていた韓国は「出場決定」の歓喜に沸き、「ドーハの奇跡」と称されている。

イラクも日本に勝てば、ワールドカップ出場が決まるはずだったが、最終の日本戦は引き分けに終わってしまったため、本大会出場を逃した。イラク代表選手は、イラクサッカー協会会長(フセインの息子:当時)によって鞭打ちなどの拷問を受けた(らしい)。

■日本代表監督
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