《シリア・アラブ共和国》

水車(ノリア)
撮影場所:ハマ旧市街

3連の水車
(後ろの建物は、アンノウリ・モスク)

水車の直径の分だけ、水を汲み上げる事ができる

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オロンテス川の水面は、かなり低い所を流れていたため、この水を汲み上げるために、木造の「揚水車」がつくられた。9世紀頃から「揚水車」がつくられたが、13〜14世紀(ビサンチン帝国時代)には農地灌漑用に、最大で32機がつくられた。17機の水車が現存し、現役で活躍している。

最大のものはAl-Mouhammadiyyeで、直径約27m(14世紀につくられた。現在の水車は1977年に立て替えられた)。これは世界最大の現役水車である。水道橋を経て農業用水に注がれる。この水車は「50シリア・ポンド」紙幣の裏絵になっている。

庭園の池に注がれる水もあれば、農業用水として使われる水車もある。ただし水位が低すぎると水車は回らない。

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ハマ Hama(ハマとは“要塞”の意味):シリア第4の都市で、緑豊かな町である。紀元前3000〜2000年前から栄えたオアシス都市。

紀元前1100年頃、ヒッタイト国ハマテと呼ばれ、イスラエル〜レバノンとの交易で栄えた。以後、アッシリアに破壊されたが(前720年)、セレコウス朝時代に“エピファニア”と呼ばれ、シルクロードの中継地となり、ビサンチン帝国(東ローマ帝国)時代に続く。

636年以後、アラブ人&イスラーム国家のウマイヤ朝の都がダマスカスに定められると、アラブ・イスラーム化が進んだ。現在はイスラム色が強く、保守的な町である。女性は黒のチャダルで全身を覆っていることが多い。ここもやはりベドウィンが多い。

1979〜1982年、《ハマ事件/ハマ暴動》がおきる。

シリアでも勢力を蓄えていたイスラム同胞団(エジプトで結成されたイスラーム主義的アラブ民族主義団体。スンナ派)は、レバノンへの軍事介入(レバノン国内のイスラム教徒左派とPLOを攻撃するため)を巡って、アサド政権と鋭く対立(1976年)、政府関係者を対象としたテロ事件が度々発生した。

1982年、ハマにおいてムスリム同胞団の大規模な暴動が起こった。バース党のアサド(父)大統領は、政府軍を派遣。政府軍は大規模な爆撃を行ったため、ハマ市民の犠牲者は、15,000〜2万人とみられる。

ムスリム同胞団は、バース党政府に押さえ込まれた。








2001年1月撮影
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