《シリア・アラブ共和国》 シャハバは、ローマ帝国フィリップス・アラブの生誕地。それゆえ、ローマ遺跡(含むモザイク画)もある。現在、ドルーズ派(ドルーズ教)の中心地のひとつ、になっている。
シャハバにある集会所 外観からは「集会所」とは判らない * 集会所内部 ドルーズの集会所では、一般の人々との接触を禁じている ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ドルーズ派(ドルーズ教)Druze:ドルーズ派(ドルーズ教)は、11世紀初、シーア派の一派である「イスマーイール派」から分かれた一派で、“ハーキム派”ともいう。ただしイスラームの枠内かどうか微妙とされる。 ダマスカス南方のハウラーン山の麓に本拠を置き、のちにレバノン山脈の南部にひろまった。現在は、シリアとレバノンの山岳地帯とイスラエル北部に、少数集団で居住して、信仰を守っている。
ドルーズ教徒が持つ、キーホルダー ファーティマ朝カリフのハーキム(第6代目カリフ)を「神格化」するためにつくられた宗教といわれる。カイロ(エジプト)のファーティマ朝のハムガ(イラン出身)が教義を体系化、タラージーがシリアにも布教した、とされる。 教義は「秘儀的」な要素を含んでおり、輪廻観もある。しかし教義は門外不出のため、謎が多く、稀有のコミュニティを形成している。 白い帽子を被った人が聖職者 ドルーズ派(ドルーズ教)では、ファーティマ朝カリフのハーキムは「最終の神の化身」とされる。ハーキムは、単に姿を隠しただけで死んではいない、としている。この世の終わりにハーキムは「マフーディ/救世主」として再臨し、ドルーズ派信徒を救う、としている。 オスマン帝国時代には、広範囲な自治(または独立)が許されていた。だが,第一次世界大戦後のシリアでは、フランス委任統治に対して「ドルーズの反乱」がおこった(1925〜27)。 ドルーズ派(ドルーズ教)は、他のイスラームからは「異端視」され、他派のイスラーム教徒から迫害と差別を受けてきた。そのためドルーズ派(ドルーズ教)の信者は、民族意識が高く、稀有のコミュニティを形成し、団結している。 異教徒との結婚は禁止されており、かつては斬首された、らしい。しかし現在は、充分な結婚資金(財産)があれば、可能となっている、とのこと。 シリア国内には、約20万人(ゴラン高原には約17,000名)の信者が住んでいる、とされる。 |