《シリア・アラブ共和国》

撮影場所:パルミラ、墓の谷

土漠に点在する墓および塔墓

アラブ城砦からみる

パルミラの宮殿群・神殿群を寄進した貴族階級の人々の墓が、パルミラ遺跡の西側に点在する。副葬品は盗掘されたが、墓内部には美しい壁画が残る。

パルミラが東西貿易(ローマ/地中海〜アラビア海沿岸/中国)の中継所=隊商都市として栄えたのは、紀元前1世紀〜紀元後3世紀。272年にローマ帝国によって陥落したが、6世紀以降のイスラーム系王朝の支配中も「隊商都市」としての機能は保たれた。

だがオスマン帝国の支配下に入ると町は見捨てられ、遊牧民(ベドウィン)が遺跡に住み着いた。








2001年1月撮影
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