《 中華人民共和国 》

清浄寺(モスク)
撮影場所:福建省、泉州

全景

現存する中国最古のイスラーム寺院(モスク)。創建は1009年。1310年、イスラーム教徒キン・アリ(ペルシア人?)によって改修された。面積は2100平方m。

現在は、大門、奉天壇(礼拝所)の遺構(石柱)、コーランの石刻碑文、くらいしか残っていない。清浄寺の横には、新設された小さな清真寺(モスク)がある。現在は博物館となっている

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大門

高さ20m、アラビア風の入り口
輝縁石と白花岡石で作られている

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大門(上部)

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中国にイスラーム教が伝播した唐代武徳年間(618〜626)、預言者ムハマンドの四人の弟子(大賢と称される)のうち、一賢(中国名)は広州、二賢は揚州、三賢と四賢は泉州で布教した。

※泉州市郊外の霊山(聖墓村)に三賢・四賢の墓がある。花崗岩でつくられたのイスラム式墓。

南宋〜明〜元代は、海のシルクロードが大繁栄した。泉州は、海のシルクロード(東アフリカ〜アラビア半島〜インド〜東南アジア〜日本)の起点であり、一大国際都市であった。最盛期は元代。泉州港は世界三大港であり、アレクサンドリア(エジプト)と並ぶ世界最大の港と称された。

ヴェネチア商人のマルコ・ポーロ Marco Polo(1254〜1324)は、元朝の世祖フビライの厚遇をうけ、1275年(元12年)から17年間、中国各地を旅行した。

泉州にも訪れ、著書「東方見聞録」に記している。マルコ・ポーロは、泉州を“Zaitun”と呼んだ。10世紀、留従効が泉州に、刺桐という樹木を植え(沖縄県の県花デイゴと同じ)、泉州の別名を「刺桐=ザイトゥン」と呼んでいたことに由来すると言われる(桑原隲蔵著「蒲寿庚の事蹟」平凡社東洋文庫より)

※ただし諸説あり。刺桐は、泉州地方で使われるビン南語では「チートン」という。アラビア語ではザイトゥン=オリーブという意味。。

1292年、マルコ・ポーロは、泉州から出航。海路を東南アジア〜インド洋〜ペルシア湾ホルムズ(当時イルハーン王国)に入る。陸路をホルムズ〜バグダード〜黒海沿岸へ。ここから船でコンスタティノープル(現イスタンブール)を経て、ベネチア(現在イタリア)へ帰った。

1345年前後、アラブ人の旅行家イブン・バットゥータが泉州に訪れ、『大旅行記』を記している。

また大航海で有名な鄭和(中国人、イスラーム教徒の宦官)も泉州から出航した。海上貿易に関わる外国人1万人ほど居住していた。国際都市らしく、イスラーム教徒の他、キリスト教徒、ヒンドゥ教徒、マニ教徒など宗教も、色目人と呼ばれる外国人も混在していた。

元代以降、泉州港は土砂の堆積で埋まってしまった。そのため貿易港としての役目は、福州へ移った。










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