《People's Republic of China》

西露天鉱(撫順炭坑)
撮影場所:遼寧省撫順市郊外

どデカイ、蟻地獄のような炭坑である

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石炭を積み出すための線路が、らせん状に敷かれている

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「撫順炭坑」は、東西約6.6km、南北約2km、深さ約200mの巨大な露天掘り炭坑(石炭)。ここはあまりに巨大すぎるため石炭集積場が3ヵ所ある。石炭の埋蔵量は「あと僅か」のため、2007年には閉山される予定。閉山後は、森林公園として再開発する、とのこと。

《行き方》
撫順駅前よりバス6路(平山経由便)。右手に炭坑が見えたら下車。

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日本の満州権益は、日露戦争後の1905年、ロシアとの間で締結された「ポーツマス講和条約」、1915年の「対華21か条」などで決められた。

ポーツマス講和条約によってロシアから譲られた満州権益は、旅順や大連などの租借権(=関東州となる)、長春〜旅順間の東清鉄道(=南満州鉄道、通称・満鉄となる。1906年設立)、鉄道に付属する「炭坑の採掘権」などだった。

満鉄は、鉄道付属地の一般行政権と警備駐屯権を利用して、鉄道事業を核に、満州撫順炭坑と鞍山製鋼所などの鉱工業、商業、拓殖などを多角経営を開始。1937年、満鉄は重工業部門を満州重工業開発に移譲する。敗戦で、これら全財産を中華人民共和国に「没収」された。

満鉄は撫順に、100m以上の石炭層と、50億トン以上のオイルシェール(油母頁岩)鉱床を発見したため、満鉄の附属地として60平方kmを接収した。満鉄は、炭坑の大規模開発に着手。1941年に「撫順炭坑」の本格的な採掘がはじまった。

「撫順炭坑」は満州最大の炭坑となり、日本の軍事経済体制を支える重要な炭坑となる。







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