《India / Bharat Ganarajya》

Qutab Minar(→世界遺産、1993年)
撮影場所:デリー、ラールコート

インドで1番古いイスラムのミナール(塔)

アフガニスタンの「ジャームの塔」がモデル

インドに攻め込んだトルコ人のアイバク将軍が、北インドを制圧した際に戦勝記念として、1192年、デリー南部のラールコートに壮大な"Quwwait-Islam-Masjid"の建築を開始する。

1199年、モスク内に"Qutab Minar"このイスラームのモスクはインド最古と呼ばれるミナレット(塔)の建設を開始する。素材は赤砂岩。

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1192年、アフガニスタン一帯を治めていたゴール朝に仕える、奴隷出身のトルコ人であるクトゥブ・アッディーン・アイバク将軍は、ヒンドゥ教徒であるラージ・プート族の支配地であるデリーに攻め込んだ。装備と志気に勝るアイバク軍は瞬く間にインド北部を征服した。

1206年、仕えていたゴール朝のムハンマド・ゴーリー王が暗殺されると、アイバク将軍は独立して、北インドにデリー・スルタン朝(奴隷王朝)を建国(〜1290)、首都デリーの建設を行う。

デリーは、デリー・スルタン以降、ハルジー朝、サイイド朝、トゥグルク朝、ロティー朝、ムガル帝国とイスラーム系王朝支配が続き、ヒンドゥ系王朝が二度とデリーを支配することはなかった。

Qutab Minarの入り口付近

精密に彫りこまれたクルアーンの章句とアラベスク
字体は“ナスヒー”とよばれる

"Qutab Minar"は建設当初、基部の直径は14.4mのままだが、先端部の直径は2.7m、7層、約100mの高さがあった。塔の所々に、クルアーンの章句が彫られた石を配置している。

その後、落雷・地震などの天災による被害、時の権力者の意向により修復・改修を重ねた。現在の5層、72.5mになった。3層までは赤砂岩でつくられているが、4層と5層は大理石と砂岩でつくられている。それでもインドに現存する石塔では、最も高い。

内部にある螺旋階段379段を上がって、外を見ることも出来たが、転落事故が相次ぎ、小学生の転落・将棋倒し死傷事故があって以来、閉鎖。若干傾いているらしい。

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「クッワト・アルイスラム・モスク」の回廊

回廊の柱の装飾はバラバラ

"Quwwait-Islam-Masjid"を建てるにあたり、アイバク将軍は、デリーに建つヴィシュヌ神を奉るヒンドゥ寺院を大規模に改装した。足りない建築資材は、27のヒンドゥ寺院とジャイナ教寺院を取り壊して補った。従事した大工の多くが、ヒンドゥ寺院・ジャイナ教寺院を作ったインド人だったらしい。

回廊に残る列柱の大部分は、これら寺院から持ち出したためか、柱の装飾がバラバラである。偶像崇拝を禁じるイスラームゆえ、偶像につながる装飾を削り取って再利用しているが、女神像などはそのまま残っていたりする。

Quwwait-Islam-Masjidは、至る所にドーム式屋根があったが、ドームの工法が未熟だったため、大きなものは崩壊してしまっている。現在は、回廊と外壁の一部、荘厳な門(アライ・ダルワーザ)のみ残っている。

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モスクの中庭に、4世紀に鍛造されたという高さ 7.2メートル・重さ6トンの鉄柱(チャンドラヴァルマンの鉄柱)が立っている(矢印)。

鉄柱は極めて良質の鉄鉱石を木炭で還元し、少しずつ作り出した古代鉄を集めてつくったもの。鉄柱の純度は98%である。鉄柱の頂点部分には穴があいており、ヒンドゥ教ヴィシュヌ神を乗せたガルーダの彫像が奉られていた、と考えられている。鉄柱の基部には「偉大な王チャンドラ」と刻まれた碑文がある。チャンドラとは、ヒンドゥ教を奉じていたグプタ朝(320〜550頃)チャンドラグプタ 2世(在375〜413頃)と考えられている。

この鉄柱だが雨ざらしにもかかわらず、錆びずに約1600年経つ今も現存しており、世界七不思議にあげている人もいる。インド人の間では、背中に鉄柱をあて鉄柱越しに腕を回して、自分の手を掴めると幸せになる、と言われている。

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インド最古のこの"Quwwait-Islam-Masjid"は、奴隷王朝以降の各王朝も尊重したようで、2度の大拡張工事を行っている(約10倍の面積になる)。

ムガル帝国以外ではデリーで最も権勢を誇ったハルジー朝(1290〜1320)の二代目スルタンであるアラーウッディーンは、戦勝記念として"Qutab Minar"を超えるミナレットの建設を開始した(アラーイの塔)。だが直径25mもの基礎部分をつくったところで暗殺されてしまったので、工事は中止。放置されたままになっている。







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