《India / Bharat Ganarajya》

ビジャプールの墓石群
撮影場所:カルナータカ州、Bijapur

スーフィー聖者の墓

1693年に亡くなったスーフィー聖者(イスラーム神秘主義者)、ハズラト・サイイド・カリーム・ムハンマド・サヘブ氏の墓。この地で崇敬される聖者だったらしい。

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ゴル・グルバンド

アーディル・シャーヒー朝(ビジャプール王国)第7代の王・ムハンマド・アーディル・シャー2世(1627〜1657)が、その存命中から造営させた自身の廟だが、墓所の完成をみないうちに亡くなったそうだ。

46m角の立方体、天井の高さは50m、天井は直径38mの半円形ドーム、四隅に7層の階段塔・・・と巨大。英国ロンドンのセントポール寺院より大きいらしい。

ゴル=丸い、グルバンド=ドーム、の意味。

6階から内部ドームの回廊に出る

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6階から墓内を見下ろす

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墓石

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7階から外に出られる

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敷地内にあるモスク

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ビジャプールは、アーディル・シャーヒー朝(ビジャプール王国;1490〜1686)の首都でイスラーム都市。アーディル・シャーヒー朝は、一時期はデカン高原の大半を領土とした(中世インド・イスラーム王朝である)バフマニー朝から独立した王朝。

15世紀末、バフマニ朝では権力闘争がおきて5つの王国に分裂した。アーディル・シャーヒー朝(ビジャプール王国)は総督ユースフ・アーディル・ハーンが興した。

アーディル・ハーンはヒンドゥ教勢力とも融和しながら、周辺のヒンディ弱小国を併合して領土を拡大。5つの王国の中ではもっとも勢力のある王朝になる。

ゴアが領土内だったため、ポルトガルとの交易が盛ん。交易を通じてペルシャ(イラン)やアラブの商人、イスラームのスーフィー聖者(イスラーム神秘主義者)との交流があった。よってビジャプールのイスラーム建築は、ヒンディ的でもありイスラームのシーア派的でもある。

1636年にムガル帝国の配下になる。だがムガル帝国はアウラングゼープ帝の治世になると、スンニ派を厳守するため1686年には同帝国に滅ぼされる。だがムガル帝国は、アーディル・シャーヒー朝(ビジャプール王国)の建築物はほとんど破壊されなかった。



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