《India / Bharat Ganarajya》

Surya Temple(太陽神寺院)、世界遺産/1984年
撮影場所:オリッサ州、Konarak

拝堂(ピダー・デウル):高さ約38m

拝堂(ピダー・デウル)の正面階段両脇には2頭の馬の彫刻があるが、かつては7頭だったらしい。イギリス植民地時代、崩壊を防ぐために内部に石をつめた。

拝堂の左に建っていたシカラ(紡錘状の聖堂、レカー・デウル)は、崩壊して現存していない。1848年までは残骸が残っていたらしい。その高さは60〜70mはあったといわれる。拝堂の正面には、

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寺院の基壇

綿密に装飾彫刻された車輪の直径は3m!

拝堂そのもののを「山車」に見立てている。

基壇の外壁には12対(24コ)の車輪が彫刻され、拝堂の正面階段両脇に馬が彫刻されていることから、馬が拝堂(山車)をひいて天空を駆け上る姿を表現している、と想像される(入り口の7本の筋は虹を現す)。また12は1年の月の数を、24は1日の時間を表している。

春分/秋分の日に、夜明けの陽光が門から拝堂を貫き、拝堂の山頂に安置されていた太陽神スーリヤの像照らし出す設計になっていることから、春分/秋分の日が天空を翔る日だったようだ。

拝堂は、車輪の他に、数々の神々、後期のチベット密教の無上ヨーガタントラ(タントラ密教)の影響を受けたミトゥナ像(男女神の性交像)、踊り子、兵士などの人物像、猿や象などの動物像がどば〜っと彫刻されている。これら彫刻は肉感的で精密。

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太陽寺院はこんな感じやなかったか?という想像図

(左)シカラ(レカー・デウル)→崩壊、消滅
(右)拝堂(ピダー・デウル)→現存

出典:"The History of Indian and Eastern Architecture"
by James Fergusson, 1876


太陽寺院は13世紀半ば、後期ガンガ朝(10〜15世紀)ナラシンハデーヴァ1世(在1238〜64)によって、約20年間の歳月をかけて建立された。ヒンドゥ教のスーリヤ神(太陽神)を主神として奉られている。

ナラシンハデーヴァ1世がまだ王子だった頃、攻め込んできたイスラーム軍との戦いに勝利した記念に建てられた、とも言われるが諸説あり。

180m×260mの敷地の中に、現存するのは、拝堂、天井を失った舞堂(ナト・マンディル)、小規模の祠堂がいくつか。


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コナラクは、プリー郊外(東へ35km)にある。ガンガ朝時代は海洋貿易港として栄えた。中世のオリッサ地方(かつてのカリンガ地方)に君臨した後期ガンガ朝(10〜15世紀)の庇護のもと、独自のヒンディ文化が成熟した。オリッサ地方に建つヒンディ寺院は「オリッサ様式」で建てられている。

※オリッサ様式:聖堂(デウル )+拝堂(ピダー・デウル)+シカラ(紡錘状の聖堂、レカー・デウル)が基本構成。




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