《République de Mali》

大モスク la grande mosquée
撮影場所:ジェンネ

日干し煉瓦で出来た建築物としては世界最大

建物は一辺が50mのほぼ正方形(敷地は一辺が約150m)で中央のミナレット(尖塔)の高さは約20m。ミナレットの先端には、「生命/繁栄/純潔/創造」の象徴としてのダチョウの卵が据えられている。1本の太さが150cm位の柱、90本で構成されている。

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ダチョウの卵(ミナレットの上)

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日干し煉瓦&泥の制作現場

バニ川の泥と藁を練って寝かして作った「日干し煉瓦」を積み、椰子材で補強して作られている。椰子材は外壁を突き抜けている。外壁の補修の際の足場として使われる他、降雨で外壁の泥が流れ落ちる時、雨をとめる役目も果たすそうだ。

モスクの外壁は、降雨などで日干し煉瓦が流れ落ちないように、同素材の泥を塗っている。


★ジェンネの大モスクの修復
Crépissage de la grande mosqu&e de Djenne

モスクの外観の泥は、毎年、雨期前(2〜5月)になると、新しい泥と藁を練ったものを塗り、日干し煉瓦の崩壊を防ぐ。外壁を塗る月と日は毎年まちまち。長老による会議で約一ヶ月前に決まるそうだ。

地元の住民数千人以上(全て男性)が前日から、バニ川岸より用意された、泥と藁を練って寝かしたものを運び込む。外壁の塗り手は、ジェンネに住む世襲制の専門家が担う。地区毎に塗る場所が決まっている。

雨期前のマリは非常に暑いため、午前中に作業を終わらさないと泥が乾いてしまうらしい。前日に運び入れた泥を手でなでつけながら、およそ3〜4時間で塗り終わる。外壁塗りで費やす何日間かは、お祭り状態になる。

※雨期:6〜10月

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月曜日以外の、モスク前と旧市街は閑散としている。モスク前広場は普段、バス&ブッシュタクシー(乗り合い)の発着場になっている。

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月曜市では、人と物が所狭しと並ぶ

月曜日以外のモスク前広場は、山羊の放牧場みたいになる長閑な広場だが、「月曜市」は一変する。モスク前広場に月曜日の朝9時頃から、遠くはブルキナファソの国境地帯から、トラックに人と荷物を満載して来る。近隣の村落をの人々は、馬車かロバ車で来る。

新鮮野菜から生活雑貨まで所狭しと並ぶが、観光客向けの土産屋はない。家畜だけは少し離れたところで市を行う。扱う商品毎に分かれているが、広場脇辺りでは、村毎の市場になっている。一番盛り上がるのが正午〜14時くらい。

特に女性は着飾ってくるので、見ているだけでも楽しい。カラフルな服装はまさに「色の洪水」だった。

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大モスクの2階が入り口になる

このモスクは、破壊されるとその土の上に新しいモスクを建てる繰り返しをしたので、土台が高くなっている。

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旧市街(民家の屋上)から大モスクをみる

大モスクを含むジェンネ旧市街は、1988年に世界遺産に登録されている。モスクは博物館ではなく、今も礼拝等で使われている。元々のモスクは、マリ帝国興隆期の1300年前後(第26代ジェンネ首長のコイ・コンボ時代)に建てられた。

ジェンネ Djenné(アラビア語で“天国”の意)は、ニジェール河とその支流のバニ川に挟まれたデルタ地帯にある。都市形成は12世紀頃。マリ帝国(1240〜1473)〜ソンガイ帝国(1473〜1591)時代は、地中海沿岸諸国と西アフリカを結ぶ「サハラ交易」=水運交易の中継地点として栄えた。当時の人口は推定1万〜1万五千人(現在は1万人以下)。

マグリブ(アフリカ北西部)やカイロ(エジプト)、メッカ(サウジアラビア)等から芸術家や学者、建築家などを呼び、高度なイスラーム文化が発展していく。ニジェール河を約350km遡上したマリ西部の砂漠の交易都市トンブクトゥと共に、「双子の姉妹」と呼ばれる。

1591年、ソンガイ帝国はマグレブのモロッコ帝国の侵攻で滅亡するが、モロッコ帝国はサハラ砂漠縦断の労のわりには冨が少なかったこの地域の植民地支配は曖昧になっていく。以後、強大な王国の支配はなく、群雄割拠の時代になる。マグレブの経済発展、戦乱の影響、川の流れの変化、砂漠化もあって、ジェンネの水運交易は衰退、ジェンネの町の活気は二度と戻らなかった

18世紀末〜19世紀、西アフリカ(西スーダンとも呼ぶ)で、イスラーム化したフラニ人を中心とした、非イスラームを征服する「フラニの聖戦」の戦乱で、ジェンネのモスクも破壊された(19世紀初)。フラニの聖戦の終わりに、神権国家であるトゥクロール帝国が出来たが、組織が脆弱だったうえに住民の支持を得られなかったため、弱体化していく。

1855年にアフリカ大陸内部への侵攻を開始したフランス軍によって滅亡し、1904年にフランスの植民地となり「フランス領スーダン」となる(〜1960年まで、以後、独立)

現在のモスクは、フランス植民地時代の1907年に、スーダン様式で再建された。

※スーダン様式:サハラ砂漠全域と周辺のサバンナを含めた地域を「スーダン」と呼ぶ。西は大西洋沿岸、東はエチオピア高原、北はサハラ砂漠、南はギニア湾。東アフリカのスーダン共和国のことではない。

外に突き出ている木は、椰子材。外壁の補修の際、足場にある。

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裏側

モスク内部の出入り口は5カ所(2つは女性専用)

かつては非イスラーム教徒でも堂内に入れたが、現在は不可。ただし小遣い稼ぎの地元のアンちゃんが「中に入れたろーか?」と誘いをかけてくる。

モスクの裏手は日干し煉瓦の民家が密集しており、モスクの全景をみることは出来ない。

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