《Republic of Yemen / al-Jumhuriya al-Yamaniya》

城壁と政府関連施設
撮影場所:北部サーダ、旧市街

(1997年)

城壁の回りはいまやゴミ捨て場…となっていた

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城壁のなかに城壁、その中に城がある
(現在は政府関連の建物になっている)

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(1997年)

日乾し煉瓦でつくられた政府庁舎

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サーダはサウジアラビアとの国境近くの町。北部の中でもこの地域は特に部族の力が強く、中央の権限は届きにくい地域である。

サーダ郊外にはデカイ「武器市場」→木曜日に開催されるスーク・テルフがあり、自動小銃〜対空砲なんかも売っていた。戦車は注文があれば入手可、とのことだった(1997年8月)。

イエメンのアリ・アブドラ・サーレハ大統領は、首都サナア近郊の有力部族出身者で、南北イエメン時代の北イエメンの大統領を経て、イエメン統一後はイエメン共和国の大統領になる。

以降、1度も大統領の座を降りることなく、長期政権を続けている(1978〜1994年/1994年〜)。

サーレハ大統領は、個人崇拝につながる肖像画を各地に飾り、国内に銅像を建てまくり、腐敗と金権政治をやっている(らしい)。1942年生まれのサーレハ大統領(67歳)の後継者は、自身の息子になる可能性が高い、と言われている。

こういった状況を好ましく思わない部族は幾つもある。

イエメン北西部サーダ地方の有力部族アル・ホウシ部族は、中央政府に従わず、同じシーア派のイラン、スンニ派のリビアから支援されて抵抗闘争を続けている。

リビア(カダフィ大佐)が、他宗派のアル・ホウシ部族を資金援助するのは「革命の輸出のため」と言われている。

  アル・ホウシ部族が長期間にわたって、抵抗闘争を続けていられるのは、支援国があるからだ。それはリビアでありイランのようだ。

  このためイエメン政府は、リビア政府に説明を求めたが、納得のいく説明を聞くことができなかったようだ。

  イエメン政府のリビアに対する疑念は、西側情報筋からも確認したため、在リビアのフセイン・アリー・ハサン大使を召還することを、イエメン政府は決定した。

  リビア政府はアル・ホウシ部族のリーダーである、アブドルマリク・アル・ホウシの兄弟であるヤヒヤ・バドルッデーン・アル・ホウシの引渡しも拒否しているということだ。

  イエメン政府はリビアが、アル・ホウシ部族に巨額の資金援助を送っている、という情報も得ており、これまでリビアに対し何度となく警告していた。

  イエメンは石油をはじめとする、これといった資源が無く、アラブの中でも最も貧しい国のひとつだ。

  こうした国に対し、産油国が他国の国内政治に、介入するのは容易なことであろう。

  カダフィ大佐の革命ごっこが、スーダンに次ぎイエメンでも始まったが、それは、石油価格の高騰と、リビアのアメリカ・ヨーロッパ諸国との関係改善がそうさせたようだ。
投稿者: 佐々木良昭 日時: 2007年05月15日 00:24 | パーマリンク

リビアにはアル・ホウシ部族のリーダーの兄弟が滞在しており、イエメン政府は引き渡しを求めているが、リビアは拒否している。

また隣国サウジアラビア政府は、イエメン政府との間に揉め事があると、息のかかった有力部族に資金援助し、イエメン政府を牽制している。・・・と、こんな感じで、北部イエメンは混沌としている。







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