《Republic of Yemen / al-Jumhuriya al-Yamaniya》

山岳都市シャハラの聖者廟
撮影場所:シャハラ

聖者廟も兼ねていました

北イエメン(旧イエメン・アラブ共和国)の山岳地帯では、ザイイド派(シーア派の一派)の勢力が強い。ザイド派は、第四代正統カリフ/シーア派初代イマームのアリーの曽孫ザイドの名に由来している(ザイドをイマームとして担ぐ一派が分離した)。シーア派誕生後の初期に分派している。

教義的にはスンナ派に近く、イスラーム神秘主義は認めていない。シーア派の特徴であるタキーヤ(宗教弾圧では自己の信仰を偽ること)も認められないため、宗教弾圧などには武器を持って戦う。

ザイド派のヤヒヤー(第2代イマーム・ハサンの子孫。ハサンはアリーの兄)が、紛争の調停のために北イエメンのサーダに招かれ、そのまま移住した。860年、ここでイマーム(アル・ハーディ)を宣言してから、北イエメンに急速に浸透した。

ザイイド派は北イエメンで勢力を伸ばし、ラッシー朝(9世紀前半〜1300頃)がつくられている。1918年、ザイド派のイマーム=ヤフヤー(1869頃〜1948)が反乱をおこして「イエメン王国」として独立。政権を握って祭政一致の専制政治を行った。イエメン王国は1962年まで続いた。北イエメンの山岳地帯では、現在もザイイド派の信者が半数を占めていると言われる。

また山岳地帯には、シーア派から分派したイスマイル派の信者も少なからずいる。


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