《India / Bharat Ganarajya》

ハンピ
撮影場所:デカン高原、カルナータカ州

トゥンガバドラ川

*

見渡す限り、岩ばかり

ハンピは、北はトゥンガバドラ川(古名はハンパー、カンナダ語でハンピ)、東はゴロゴロの岩山に囲まれた、天然の要塞地。1336年、デカン高原北部から南下を窺っているイスラーム勢力の進軍を阻止するため、ハンピに新首都の建設が開始された。

王家は、ハンピの広大なエリアを城壁で厳重に守り、主なものだけで12のヒンドゥ寺院(ヴィジャヤナガル様式)、神祠、浴場、要塞、宮殿など、どの建造物も非常に高度な技術によって建造された。これら建造物群は、ユネスコ世界遺産の文化遺産に登録(1986年)された。

奇怪な巨石(花崗岩)がゴロゴロした岩山のどこを登っても、素晴らしい景色に会える。特に北側のマタンガ山からはハンピの村や散在する遺跡が一望できるよ。ここからの夕日は格別!

*

丸い小舟は、渡し船でもあり漁船でもある。この船は、ベトナムのニャチャンなどでも見ることができるよ。

*

ヴィルパークシャ寺院(パンパーパティ寺院)

ハンピの都市址から若干離れたトゥンガバドラ川のほとりには、ドラヴィダ様式のヴィルパークシャ寺院(パンパーパティ寺院)が建っており、この寺院を中心に、ハンピの村がある。

この寺院に祭られている女神は、もとは土着のパンパー女神。やがてヒンドゥ教のパールヴァティー女神に同一化され、その夫であるシヴァ神に献じられた。

このヴィルーパークシャ寺院は、今も礼拝される生きた寺院である。ここだけは参拝者でいつも賑わっている。だが他の寺院などは参詣者は少なく、ほとんどがまるで野外の博物館状態になっている。

*

1565年、栄華を誇ったヴィジャヤナガル王国は、デカン地方のイスラム勢力(ムスリム五王国の連合軍) に敗れ(タリコタの戦い)、ハンピの町は徹底的に破壊された。ハンピの町はしばらく放置されたままになっていたが、18世紀、離散したビジャヤナガル王家の人々は、ハンピの対岸の村アネグンディに移住してきた(子孫のデーヴァラヤ家)が、ただの田舎町のままである。

ヴィジャヤナガラ王朝の廃都・現在のハンピは、灌漑事業施設が残っている部分では農地(小さな村落が点在している)、それ以外は荒れ地になっている。政府は、ハンピの都市址を「農地」としての使用を認めているが、土の下には、発掘すべき建物や遺品が多数残されているため、深く耕さないという条件が付けられている。










inserted by FC2 system