《 Lebanese Republic / Réublique libanaise / Al Jumhuriyah al Lubnaniyah 》

レバノンは、古代にはフェニキア人の商人らによる海上貿易などで栄えた。(レバノンのビブロスは、約7000年前から人が住み続けている世界最古の都市の一つ)。ローマ時代のレバノンは「文化の中心」だった。

スール遺跡
撮影場所:南部、Sour(Tyre/Tyrs)

列柱遺跡と夕日

首都ベイルートから南に約90kmほど行ったところにあるスールがある。写真は「南の女王」と言われる遺跡。

古代フェニキアの港に通じる幅8mの道で路面には、薄緑の大理石のモザイクがある。列柱は縞の入った“ブルーマーブル”と呼ばれる大理石。劇場、貯水池、ローマ風呂の跡、ビザンチン式の大聖堂の遺構(廃虚)がある。

遺跡は“島の部分”と“陸の部分”に分かれているが、遺構はどちらもローマ時代のもの(しかも砂が堆積し、現在の半島のような形になっている)

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現在のレバノンに住んでいたフェニキア人(セム系民族カナン人)は、南レバノン特産の紫の染料(ムーレックスと呼ばれる巻き貝)、ガラスなど諸工芸、レバノン杉の輸出、海上交易などで領土を拡大し繁栄した。紀元前11世紀頃、ティルス(またはツロ)と呼ばれていたスールの沖合にある小島にも港湾都市国家を完成させた。

紀元前332年、マケドニアのアレキサンダー大王は、ティルス(またはツロ)を攻略するため長さ800m、幅60mの堤を築いて小島と陸を繋ぎ、7カ月間に渡って攻め、ティルスは陥落した。

紀元前64年、スールは、ローマ帝国の属州となり、スールには2つの「ローマ様式」の都市が建設された。いづれも「神殿」はなく、劇場、貯水池、ローマ風呂、教会が建てられた。

スールの内陸にある遺跡は、戦車競技場(ヒッポドローム:長さ500m、幅160mの世界最大規模のローマ時代の競技場。馬戦車10台を競争させる。収容人員は約2万人)、体操場などの「スポーツ施設」が中心で、凱旋門や墓場がある。その後スールは、十字軍、マムルーク朝、オスマントルコの支配下に入ったのち、フランスの統治を経て、現在に至る。

スールから南へ約20km行ったとこには、イスラエルとの「国境」があり、小競り合いが絶えない状態が続いている。






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