《Republic of Macedonia / Former Yugoslav Republic of Macedonia / Republika Makedonija /Република Македониjа》

オフリド湖とカネヨ教会(正教会)
撮影場所:オフリド湖

聖ヨヴァン・ボゴスロヴ・カネヨ教会
(Св. Jован Богослов Канео )
13世紀


マケドニアの首都スコピエからバスで3時間。水深約294m、マケドニアとアルバニアにまたがるオフリド湖は、世界でもっとも古い湖でマケドニアが全体の2/3を領土としている。オフリド(Охрид=Ohrid )は、古代ローマ帝国時代にはLichnidosと呼ばれ、アドリア海とエーゲ海を結ぶ通商路上にある、イリリア人の町であった。

マケドニアの南西に位置する方のオフリド湖畔には、湖と同じ名前のオフリドという町がある。このオフリドは、ビサンチン帝国(東ローマ帝国)時代には文化の中心地のひとつ。第一次ブルガリア帝国(681〜1025)の支配時代(シメオン一世、在893〜927)には、首都となった。

この時、コンスタンチノーブル総主教座から独立して「ブルガリア正教会」が発足する。オフリドに、ブルガリア正教総主教座(独立正教会)が置かれた。旧市街と周辺には、ビザンチン様式のブルガリア正教会や修道院が約300つくられた。

12世紀には、第一次ブルガリア帝国から、中世セルビア王国の支配に替わる。時の国王ステファン・ドゥシャンは、スコピエ(現マケドニアの首都)を首都とし、ここに同じ正教会のセルビア正教総主教座を置く(マケドニアでのブルガリア正教総主教座は消滅)。だが1398年には、イスラームのオスマン帝国の支配下に入る。この時代には、多くの教会がモスクになったりした。

1918年、オスマン帝国の支配から解放され、南スラブ民族による国家ユーゴスラビア(最初の名称は、セルビア人・クロアチア人・スロヴェニア人王国 Kraljevina Srba, Hrvata i Slovenaca/ユーゴスラビア王国1918〜1945、ユーゴスラビア連邦人民共和国/ユーゴスラビア社会主義連邦共和国:通称旧ユーゴ1945〜1992)になると、正教会は、セルビア正教会として復活した。オフリドには、旧ユーゴのチトー大統領の別荘もつくられた。

1967年、マケドニアの正教会は、セルビア正教会から離反して「マケドニア正教会」を宣言。オフリドは再びその中心地となった。これはセルビア正教会は認めていない。オフリドには現在30ほどの正教会が現存する。








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