《Jumhuriya Misr al-'Arabiya / Arab Republic of Egypt》

シナイ山 Gabal Muusa / Horeb
撮影場所:シナイ半島南部

(2007年2月)

シナイ山山頂からの日の出

東方の空が、黒→紫→オレンジに変わっていく

旧約聖書の出エジプト記19章:「預言者モーセが神(ヤハウェ)から十戒を授かった場所は山」と書かれている山。シナイ山(ホレブ山)の記述は、申命記/士師記/ハバクク書などに登場しており、アブラハムの砂漠の3宗教=ユダヤ、キリスト、イスラームでは、シナイ山(ホレブ山)を神聖化している。

見渡す限り荒涼とした岩山が続く地帯には、3つの独立した山塊がある。シナイ山はどれか?は特定されていないらしい。何故なら「シナイ山(ホレブ山)はミディアンにあり、Badiet et-tih=放浪の砂漠の北」等と曖昧にしか書かれていないから。

西暦4世紀以降のキリスト教の伝承では、Jubal Muusa / Horeb と呼ばれる標高2285mの南側の山(モーセの山という意味)を指すのでは?・・・とされている。ただし一部の聖書研究家は「シナイ山(ホレブ山)は北側にある Ras Safsafeh(標高2070m)ではないか?」と言う。諸説はいろいろある。

いづれにしろ、ここにはほとんど樹木がなく、全く水がなく、非常に乾燥している。

深夜2:30頃から山登りを始め、御来光を見て下山する巡礼は、5世紀頃から始まり、今も盛ん。行きは19世紀に整備されたラクダも登る急ではない長距離コース=ラクダ道、帰路は短いが3750段の急な階段道、を使う(帰路もラクダで降りたいヒトは、ラクダ道で)。3時間あれば登れる。

ラクダに追われながらの登山になるが、山小屋は適所にあり困らない。最後の約800段の階段道までは、比較的緩やか。真っ暗な夜空に散りばめられた星は、それはそれは綺麗だった!流れ星もビュンビュン落ちていた。空気はとても澄んでいる。

山頂は非常に寒い(2月下旬時には残雪もあった)。寝袋を持参したヒトはそれを被りながら、日の出を待つ。貸し毛布もある(貸し毛布を持った遊牧民の小僧が沢山いる)。日の出直後から猛烈に暑くなるので注意。

東方の空からオレンジ色の太陽があがると、これを待つ人々はどよめき、キリスト教徒は賛美歌を歌い、イスラーム教徒は山頂にある小さなモスクか周辺で礼拝をしていた。

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9合目付近からシナイ山をみる

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1930年に山頂に建てられた三位一体聖堂

写真の手前に小さなモスクもある

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山頂から100mほど降りたところ

写真右下に登山道最後の山小屋が並ぶ

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階段道につくられたアーチ

(鳥居のようなもの)

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階段道の4合目付近にある聖エリヤの古い礼拝堂(中央)

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谷間から山麓にある聖カトリーナ修道院をみる

聖カタリナ修道院 Saint Catherine's Monastery:2002年に世界遺産登録。

ここは、予言者モーセが、シナイ山麓(ホレブ山麓)で燃える柴の炎の中に現れた神に初めて出会い、神の言葉を授かった・・・とされる場所。

そして527〜565年に、ビサンティン帝国ユスティニアヌス1世および母ヘレナが、初期キリスト教(現在はギリシア正教系シナイ山正教会)の修道院を建てた。

聖カタリナの名前は800年頃、初期キリスト教時代のエジプト人女性信者(殉死)カタリナの遺骨が発見されたことから、この名をとっている。天使が運んだという逸話もあり。

現在の修道院は、縦85m×横76m×高さ15mの分厚い外壁に囲まれているが、これは創建当時からほとんど変わっていない、そうだ。ベドウィンなどからの攻撃を防ぎ切っている。

またイスラーム教の預言者ムハマンドは、外敵から身を守るために、一時的にこの修道院で身を隠したとされる(ムハマンド自筆の署名入り文書があるらしい)。エジプトを支配したファティマ朝は敷地内にモスクを建てている(現在は閉鎖)。

14世紀におきた地震で、外壁の南側と、南側にある宗教施設が崩壊したが、再建され、現在に至っている。この修道院の図書館には、バチカンに次ぐ世界第2位の蔵書・収集物がある。








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