《O'zbekistan Respublikasi / Republic of Uzbekistan》
(2006年) イチャン・カラの西端から東方面をみる 首都タシケントの西約750km、トゥルクメニスタンとの国境にほど近く、四方をカラクム砂漠に囲まれ、アムダリヤ川下流に位置する肥沃なオアシス都市。 紀元前4000年以上前から人が住んでいたが、歴史の表舞台に登場したのは、17世紀後半にイラン系統のテリュク系イスラーム王朝ウルゲンチ・ハーン国の首都になってから(以後、ヒヴァ・ハン国と呼ばれる)。ウルゲンチからの遷都の理由は、アムダリヤ川の流れが変わったため。 今はほとんど残っていない全長6kmの外壁と、2.1kmの内壁があり、外壁と内壁の間をシジャン・カラ(外城)といい、内壁に囲まれた小さなイチャン・カラ(内城)と呼ぶ。 イチャン・カラには、王宮の他、モスクが20カ所、ミナレット6基、メドレセ(神学校)が20カ所、多くの廟など宗教関連施設が立ち並ぶ。 ヒヴァ・ハン国(1512〜1920)は、やがてトルクメン人が支えるようになり、1873年にはロシアに屈して保護国になる。ロシア革命後の1920年、ホラズム人民ソビエト共和国が成立し、ヒヴァ・ハン国は滅亡する。 20世紀半ばからのソ連時代には宗教施設は荒廃したが、ソ連崩壊後の1991年の独立以降、修復が進む。1990年に世界遺産に指定された。 * イスラーム・ホジャのミナレット ヒヴァで一番高いミナレット。118段の階段があり、高さ45m、基底部の直径は9.5m。ミナレットはメドレセ(神学校)に併設して建てられている。 1910年、ヒヴァ最後の王に使えた大臣イスラーム・ホジャが建てた。進歩的なフッジャは国民に人気があったが、王とイスラームの坊さんの嫉妬をかい、陰謀によって生き埋めされて殺された。 * シジャン・カラ(外城)に沈む夕日 地平線はカラクム砂漠
|