《O'zbekistan Respublikasi / Republic of Uzbekistan》

サマルカンド
撮影場所:市内各地

ワディ・ダハール

(2006年)

グリ・アミール廟

ティムール一族の墓

「青の都」等と呼ばれるサマルカンドは、「チンギス・ハーンが破壊し、ティムールが再建した」と言われる。2001年に世界遺産に登録された。

タジキスタンとの国境にほど近くアムダリヤ川の支流であるゼラフシャン川河岸にある。紀元前10世紀頃からシルクロードの中心都市だった。

紀元前4世紀、ローマ帝国のアレクサンドロス大王および遠征軍がマラカンダ(サマルカンド)に立ち寄ったとき、その美しさに感銘を受けたらしい。当時の中心的な担い手はゾグド人だった。

だが1220年に西進してきたモンゴル軍によって、町は徹底的に破壊され、人口の3/4が殺害された。この破壊された町を蘇えさせたのは、イラン系のティムール朝始祖ティムール(在1370〜1405年)。イランやシリア、アフガニスタン等から優秀な職人や建築家を呼んで、当時の新市街に整備された都市を建設させた。壮大で芸術的な宗教施設群をつくり、イスラーム世界に名だたる都市にする。

だがティムール朝は内紛の末に滅亡。ウズベク人でテュルク系ブハラ・ハーン国が支配する。これも内紛の末にロシアの干渉を受け、1868年にロシア領トルキスタンに編入された。

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グリ・アミール廟内部

第二次世界大戦が始まった頃、ソ連政府は調査名目で、グリ・アミール廟にあるティムールの石棺をあけた。石棺には「墓を暴けば、私より恐ろしい敵がやってくる」と書かれていた。

その言葉通り、調査直後に、ソ連はナチス・ドイツ軍による奇襲攻撃を受けて(バルバロサ作戦)、長い独ソ戦争が始まったため「ティムールの呪い」と言われたそうだよーーーーん。

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レギスタン広場

モンゴル軍の破壊後、商業の中心地となり、公共の行事(謁見や罪人の処刑など)も行われた。ティムールの時代は屋根付きのバザールになったが、やがて隊商隊施設やイスラーム神秘主義教団の修練場、メドレセなどが出来た。

シャイバニ朝時代に3つのメドレセをつくり、広場を整備して現在の形になった。しかしロシア領になった頃から荒廃。ソ連時代の1940年以降、堆積した2mもの土を取り除き、一部修復を行った。

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ハズラテイ・ヒズル・モスク

アフラシャブの丘(モンゴル軍侵攻前までの中心地)南麓。ここにイスラーム教が入る前の宗教のゾロアスター教寺院があった、とされる。最初のイスラーム教のモスクは、このゾロアスター教寺院跡に建てられた。

現在のモスクは19世紀製。木造のテラスがつくられており(彩色が美しい)、これが他のモスクと違っている。モスクの裏は、一般のヒトの墓地になっている。










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