(2004年当時の)源泉 吹き出し部分の拡大 土の部分に硫黄を含んだ浮遊物がこびり付く * 源泉は小川となってイリジャ川に合流する * 幹線道路と源泉の小川の交差部分 * Hotel Hercegovina(Hotel Terme) 内戦前、賑わった入浴施設は閉鎖中(2004年) イリジャとはトルコ語で「温泉」を意味する。 イリジャのトラムターミナルの北には整備された広大な公園があり、サラエボ住民の飲料水の供給源でもある川と湖沼群(Vrelo Bosne)もある。付近にはオーストリア=ハンガリー二重帝国〜ユーゴスラビア王国時代の貴族の別荘が建ち並ぶ。 これら別荘と温泉は、旧ユーゴ連邦時代には「国有」になったが、実のところ、ユーゴスラビア共産主義者同盟などの幹部専用として利用されたらしい。 このホテル Hotel Hercegovina(Hotel Terme)は、ボスニア紛争中はセルビア系勢力の司令部、セルビア系勢力がイリジャをムスリム系勢力に“返還”したのちは、UNの司令部となった。近年、これもボスニア・ヘルツェゴビナに返還され、ようやくホテルとして営業を再開。内戦から12年経った2004年になっても温泉プールなどは資金難で再開の目処たたず。
イリジャは1991年当時、昔からムスリム人(43%)とクロアチア人(10.3%)とセルビア人(37.2%)、そしてユーゴスラビア人(7.6%)が混在している町だった。ボスニア紛争が始まるとセルビア系勢力 SR は、ムスリム系住民らを追い出してセルビア系支配地 RS にした(サラエボ包囲外だった)。サラエボ空港が近いこともあり、激戦地のひとつでもあった。 96年2月26日、サラエボ近郊のVogosca(北)とIlijas(西)の地区の解放によって北西の通行が開始され、サラエボの包囲は解かれた。イリジャは和平合意によって、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦 FD に編入された。
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