中華人民共和國
Zhonghua Renmin Gongheguo / People's Republic of China

驪山温泉

陜西省西安郊外
2700年前に発見された温泉。離宮が建てられ歴代の王朝に愛された

皇帝専用の浴槽棟など、独立した浴槽棟が点在する
(華清池@御湯遺址博物館)

浴槽棟と浴槽棟は、温泉水路でつながっている

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高貴なお方専用の浴槽

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温泉

これは飲用できる(有料5元)


■中国でも名高い名湯

2700年前、この地に温泉が発見されたのち、歴代の王朝:周/泰/漢/隋の離宮として使われた。唐時代には「華清宮」が建てられ、湯治場として整備される。宋/元/明/清の各王朝も、湯治場として使っていた。現在は「華清池」として整備されている。

特に、唐の第六代皇帝玄宗と楊貴妃(719〜756)は、冬の寒さを避けるため、毎冬この地で過ごしたらしい。楊貴妃は、この温泉で肌の磨き(美肌)をかけたそうだ(白居易の長恨歌)。


場所・行き方
西安市内から公共バスの306路と307路に乗り、「華清池」下車。観光客でごったがえしているので、すぐワカル。

庶民が入れる日帰り温泉は正門横にある。

日帰り温泉施設など
華清池の出入り口には、観光客を目当てにした「浴場」が何カ所かあるので気軽に入浴出来る(20元〜)。値段の違いは、設備の違い(ジャットバス付き、とか)
泉質など
鉱物泉。炭酸鉄、硫酸などが含む、と書かれている。源泉の温度は、43度弱(源泉飲泉所での感じ)。毎分113リットル。
ロケーション:★★
緑豊かな離宮の中にあるが、観光客が入浴可能な浴場は、情緒は全くなし
お湯のかんじ:★★
若干硫黄臭く、少し緑かかった透明の湯。炭酸の気泡がわずかにつく。
全体のかんじ:★★
設備は老朽化。でも楊貴妃がイチャイチャこいた温泉、歴代皇帝も愛した温泉に入ったんだ〜♪という思いで、☆1つ献上

■驪山温泉で起こった《西安事変》

「華清宮」にある「五間庁」は《西安事変》で有名になった。

第二次世界大戦時、国民党の蒋介石は、日本軍の占領に対しては「待機主義」で全面戦争を避け、中国共産党(毛沢東)を毛嫌いして、勢力一掃(内戦)に力を入れていた。そのため中国の勢力は2分されていた。

国民党の蒋介石の側近である“張学良”は、出身地の中国東北部(満州)を「満州事変」で失い(1931年9月)、日本軍に占領されていた(1932年3月「満州国」が成立)。故郷(満州)の回復を願うも、自兵は蒋介石によって日本軍と戦うことを禁じられ、兵は華北に移動されて、中国共産党軍(紅軍)との戦い(内戦)を強いられていた。

張学良は密かに中国共産党と接触を開始。「内戦停止/一致抗日」を訴え、兵を動かして、当時、蒋介石が住んでいた「華清宮」にある「五間庁」を襲撃して軟禁する(1936年12月12日)。蒋介石を襲撃した際、短銃を発砲したが、その時の弾痕(ガラス)がそのまま残っている。

張学良から相談を受けた中国共産党の周恩来や葉剣英などは、中国共産党と国民党は、一致団結した抗日民族統一戦線を結成しようと説得し、12月25日に暫定ながら、内戦は事実上停止された。翌年2月、中国共産党と国民党は、抗日戦線(統一戦線)の結成を受け入れた。

日本軍による全面侵攻が始まった同年9月、第二次国共合作(抗日民族統一戦線)が正式に結成された(9月22日)。日本軍による大規模な侵攻作戦は、1938年末で終わり、以後、膠着状態が続く。

中国共産党は支配地で勢力を伸ばした。国民党は中国共産党の躍進を脅威に受け止め、1939年初めから、再び、半内戦状態に陥った。蒋介石率いる国民党軍は、日本軍との戦いには消極的になり、中国共産党との決戦に備えて主力を温存する。

この状態は、1945年8月の終戦まで続いた。
(清朝末期から続く内戦のお陰で、日本軍は中国戦線では敗戦していない)




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2002年5月@入浴
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2002年5月下旬のレート: 1 CNY(中国人民元) = 15.49 JPY


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