皇帝専用の浴槽棟など、独立した浴槽棟が点在する 浴槽棟と浴槽棟は、温泉水路でつながっている * 高貴なお方専用の浴槽 * 温泉 これは飲用できる(有料5元)
■中国でも名高い名湯 特に、唐の第六代皇帝玄宗と楊貴妃(719〜756)は、冬の寒さを避けるため、毎冬この地で過ごしたらしい。楊貴妃は、この温泉で肌の磨き(美肌)をかけたそうだ(白居易の長恨歌)。
■驪山温泉で起こった《西安事変》 「華清宮」にある「五間庁」は《西安事変》で有名になった。 第二次世界大戦時、国民党の蒋介石は、日本軍の占領に対しては「待機主義」で全面戦争を避け、中国共産党(毛沢東)を毛嫌いして、勢力一掃(内戦)に力を入れていた。そのため中国の勢力は2分されていた。 国民党の蒋介石の側近である“張学良”は、出身地の中国東北部(満州)を「満州事変」で失い(1931年9月)、日本軍に占領されていた(1932年3月「満州国」が成立)。故郷(満州)の回復を願うも、自兵は蒋介石によって日本軍と戦うことを禁じられ、兵は華北に移動されて、中国共産党軍(紅軍)との戦い(内戦)を強いられていた。 張学良は密かに中国共産党と接触を開始。「内戦停止/一致抗日」を訴え、兵を動かして、当時、蒋介石が住んでいた「華清宮」にある「五間庁」を襲撃して軟禁する(1936年12月12日)。蒋介石を襲撃した際、短銃を発砲したが、その時の弾痕(ガラス)がそのまま残っている。 張学良から相談を受けた中国共産党の周恩来や葉剣英などは、中国共産党と国民党は、一致団結した抗日民族統一戦線を結成しようと説得し、12月25日に暫定ながら、内戦は事実上停止された。翌年2月、中国共産党と国民党は、抗日戦線(統一戦線)の結成を受け入れた。 日本軍による全面侵攻が始まった同年9月、第二次国共合作(抗日民族統一戦線)が正式に結成された(9月22日)。日本軍による大規模な侵攻作戦は、1938年末で終わり、以後、膠着状態が続く。 中国共産党は支配地で勢力を伸ばした。国民党は中国共産党の躍進を脅威に受け止め、1939年初めから、再び、半内戦状態に陥った。蒋介石率いる国民党軍は、日本軍との戦いには消極的になり、中国共産党との決戦に備えて主力を温存する。 この状態は、1945年8月の終戦まで続いた。
--------------------------- 2002年5月下旬のレート: 1 CNY(中国人民元) = 15.49 JPY
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