ダヴルヴル火山を望む、海中温泉 硫黄臭が漂う パプアニューギニア(PNG)の離島のひとつ、ニューブリテン島北部のガゼル半島先端ラバウルにある温泉。1942年(昭和17年)1月、ドイツの統治下にあったニューブリテン島の中心都市ラバウルを、日本軍が占領する。 日本軍の占領時代、ラバウルには兵員3万人が滞在。占領地では最大規模の前進・補給基地(ラバウル東飛行場、西飛行場等)をつくり、ニューギニア本島・ソロモン諸島ガダルカナルへの戦略拠点となった。 日本軍で大活躍したのがラバウル航空隊(第25/26航空隊を主体とした日本海軍航空隊)。ソロモン諸島の制空権をめぐり、ラバウル上空等で連合軍(米・豪など)と空中戦を繰り広げた。アメリカ軍はラバウル航空隊の実力を高く評価している。 ラバウル東飛行場(1994年まで“ラバウル空港”として使用していた)は、三方が火山に囲まれ、水深が深い天然の良港(シンプソン湾)の出入り口付近にあり、飛行場西に広がる小さなマチュピテュ湾岸には温泉が湧いていた。日本軍兵士は目の前の活火山ダヴルヴルを「花咲山」と命名し、航行標識の役割を果たす。 地元民はこの温泉を“Rapindik温泉”と呼ぶが、日本軍は“花咲温泉”と名付けた。兵士らは入湯して疲れを癒やしたそうだが、「温泉は寒いところに限る」と、評判はあまり良くなかったそうだ。 * 源泉池 タブルブル火山に隣接するラバラナカイア火山から、地熱を発して、マチュピテュ湾海岸沿いに温泉を作っている。 火山に面した砂浜のあちらこちらに源泉池がある。どれも80度前後の熱湯なので、ゆで卵が出来る。ガス熱も噴出しており、こちらは推定100度。 * 海岸からブクブクと湧く源泉 海岸は硫黄臭が漂い、砂浜からは泡が立っている。火山溶岩には湯ノ花がついている。温泉が湧きだしている時は、ほぼ透明だが海水と混じると土色/赤色になる。 * マチュピット湾 戦時中、日本軍兵士もこのように入浴していた 源泉と海水と混じり、程よい湯加減のポイントを海の中で探して入浴する。なおPNGの現地民には、入浴の習慣はない。 マチュピット湾は、約1400年前にできたカルデラ(噴火後におこる火山中央部の陥没)で、6つの火山(タヴルヴル山=花吹山、ラバラナカイア山、コンビウ山=花山、ヴァルカン山=西吹山、トゥングナン山、トゥナバンナティ山)と2つの火口から構成されており、通称・ラバウルカルデラとも呼ばれる。 ダヴルヴル火山(花咲山)は、断続的に灰色の噴煙と火山灰を吹き出しているが、爆音はない。 * ラバウル東飛行場(跡)から温泉をみる * 海岸 写真の右側は、ダヴルヴル火山(花咲山)とマチュピット湾。写真の左側はラバウル東飛行場(跡)。 サンダルを履いて海岸を歩かないと、いきなり熱湯や水蒸気を踏んでしまう。海岸は砂ではなく、細かめな溶岩で埋め尽くされている。 ダヴルヴル火山(花咲山)は、対岸のブルカン火山と同時に噴火を起こす特徴がある。1878年、1937年、1994年に大噴火を起こした。 特に1994年9月19日6:06のダヴルヴル火山、同日7:17のブルカン火山の大噴火は凄まじかった。21日にはラバラナカイア山も噴火。ラバウル市内には厚さ5m以上ものの火山灰と溶岩が積もり、更には津波もおきてラバウル市東半分は壊滅した。警報が出ていたため死者は5人だったが、5万人の人々が家を失った。 ブルカン火山とラバラナカイア山は休火山になったが、ダヴルヴル火山は今も活火山である。 ラバウル空港として使っていたラバウル東飛行場は、火山灰に埋まって使えなくなったため、ダヴルヴル火山の南東10kmに、現在の新しい飛行場(トクア空港)をつくった。
◆営業時間、料金
2006年11月@入浴 --------------------------- 2006年11月のレート:1 PGK(Papua New Guinea Kina)=約 37.72 JPY
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