中華民國;臺
Chung-hua Min-kuo / Republic of China

北投
地熱谷

大屯山温泉区: 台北市北投区

新北温泉の源泉と足湯

地熱谷

台北市北部、MRTで約30分に位置する有名な温泉郷。陽明山温泉と共に台湾を代表する温泉郷で、宿泊施設が充実し非常に賑やか(日本の有名な温泉郷に似た感じ)。

源泉湧出の池から、土管を通じて温泉が流れてくる。土管のすぐ横には、山(丘)から流れてきた排水兼小川が合流。この加水によって湯温を低くなっているため《足浴》が楽しめる。ちょうどいい温度で、少し粘りけがある感じの湯。

かつては地熱谷の源泉池で「ゆで卵」を作っていたが、落石事故が多いため現在は禁止されている。

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源泉池

地獄谷(源泉のひとつ)

矢印は、池の底からわき上がる温泉。
底に“結晶”が出来ている。




場所・行き方
MRT淡水線「台北車站」から、淡水行きに乗り「北投站」で「新北投站」行きに乗換、1つめの終点の「新北投站」下車。台北車站から約30分。容易に行ける。公共バスも多数あり。

北投温泉から陽明山温泉にも行ける。所用時間は約20分だが、バス便は1時間に1〜2本と少な目。MRT「新北投站」至近の泉源路のバス停から「陽明山」行きに乗るのが一般的。
泉質など
(新北投温泉では源泉は数カ所あり、湯質は異なる)
酸性含硫黄ーナトリウムー塩化物硫酸塩泉、pH1〜2

地獄谷は強酸性泉の温泉で、北投石と呼ばれる温泉沈殿物から自然界の約10倍の放射線を排出。日本の秋田県玉川温泉とここの温泉は泉質が唯一同じ、とのこと。源泉の温度は50〜90度前後。匂いは、金属の腐敗臭(やや硫黄っぽい)でやや塩っぽい。鉛やラジウムを含むため、体に長く密着させるのは有害。飲用不可。

ロケーション:★★
小高い丘の上に囲まれた谷間にあり、静か。
お湯のかんじ:★★
ぴりぴり(丁度いい刺激)、湯温も問題なし。
全体のかんじ:★★
源泉から流れ出る温泉川では場所次第で自分好みの湯温で足浴も楽しめる。

【北投石】
北投石は北投温泉で、1906年(明治39年)、岡本要八郎によって発見、酸性の温泉で出来る《温泉沈殿物の一種》の珍しい石。その後、強い放射能をもつことがわかり、1912年に神保小虎などにより北投石と命名された。放射能は、ラジュウムやトリュウムなどの放射性元素によるもの、だそうです。

日本では1898年、秋田県仙北郡田沢湖町玉川にある《玉川温泉》で発見された。この鉱物は、1920年(大正9年) 大橋良一により、台灣の北投温泉で発見された北投石と同じである、と認定された。 現在は特別天然記念物に指定(昭和27年3月)されている。

北投石は、硫酸バリウムのバリウムの一部が鉛に置換された化学組成をもつ鉱物。ラジウムを含むため、放射能を出す。褐色の層(鉛を多量に含む)と、白色の層(ラジウムを大量に含む)が槽になりながら 皮殻状の縞模様をつくっている。厚さは5cm程度のものが多い。

※日本では、秋田県立玉川温泉ビジターセンターに北投石が展示されている。
※台灣では、北投温泉博物館に展示されている。

◆歴史
明治26年(1893年)、ドイツ人の硫黄商人が温泉を発見(らしい)。明治29年(1896年)に温泉宿「天狗庵」を建設。明治38年(1905年)、日露戦争(明治37〜38年)時の負傷兵がここで温泉治療し、陸軍療養所が建てられた。以後、日本統治時代に温泉大開発。

第二次世界大戦以後(日本が台灣から撤退したあと)
ここは、政府公認(中国国民党政権下)の《置屋》=公娼制度がある歓楽街となった。女遊びは、台灣の企業家・高級官僚が中心となり、日本人観光客(主に社用)なども、いわゆる酒池肉林(贅沢三昧の酒宴、美女の接待・娼婦付き)を催していた。

1960年後半、ベトナム戦争で駐留するアメリカ兵、日本からの売春(男性)ツアー客が急増。1979年、蒋経国(初代総統蒋介石の最初の妻:毛福梅との間の長男、1909-1988、総統在位1978-1988)は、公娼制度を廃止した。

※日本統治時代:1895年6月〜1946年5月(実質的には1945年10月)。

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