《People's Republic of China》
(矢印)男女共通の汚物貯蔵槽 ◆地元民専用の公共厠所。 ■太陽島 19世紀末まで小さな漁村にすぎなかったハルピンは、帝政ロシアの支配下になる。東清鉄道の建設(清朝と帝国ロシアの不平等条約によって開始)で、人口は急激に増え、近代都市として発展する(日露戦争が始まった1904年頃から日本人の人口が増えた)。 20世紀初頭、ハルピン市内には、中西文化が融合した中華バロック、欧風建築(シベリヤ、イスラム、ビザンチン、ゴシック、アール・ヌーヴォー・アールデコ、モダニズムなど)が数多く建てられ、東方のモスクワ、東方の小パリなどと呼ばれた。 松花江の北岸にある太陽島は、かつてはロシア人の別荘が建ち並んでいた中国有数の避暑地だった。現在も、木材を多用したシベリヤ様式の名建築物が残っている。
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