《Bosnia and Herzegovina / Bosna i Hercegovina /Босна и Херцеговина》
(2003年5月) 日本のODAで運行が再開された
…と(車体に)書かれている ◇ ボスニア紛争によって、公共交通機関は事業の約9割、総額約1千万ドルの被害を受け、事実上の壊滅状態になった。紛争終結後も民族間対立(憎悪)が続いているため、民族間の移動は出来ないままでいた。公共交通手段(バス)が復活したことで、日常の足を確保し、経済活動を行うことができるようになった。 2001年度、「モスタル市公共輸送復旧計画」として、日本政府は7.69億円を拠出した(無償資金援助)。 なお日本政府は、ボスニア・ヘルツェゴビナに対しては、1996年と1997年に「サラエボ市公共輸送力復旧計画」で第一期9.34億円/第二期4.65億円を拠出。1998年、スルプスカ共和国 RS の「バニャ・ルカ市公共輸送力復旧計画」で6.98億円を拠出している。 (2002年、セルビア・モンテネグロの首都ベオグラードでも運行を開始した。こちらの車体には“DONATION FROM THE PEOPLE OF JAPAN”と書かれている) いづれも、ドイツのMAN社製のバス(車体はトルコで製造、エンジンはドイツ製)。車体のカラーは、サラエボとモスタル(とベオグラード)は黄色、バニェ・ルカは赤色。
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