《Syrian Arab Republic / Al Jumhuriyah al Arabiyah as Suriyah》
(1997年6月撮影) このお三方への批判はタブーである 写真左:長男のバーセル・アル・アサド氏(当時は生粋の軍人)。1994年1月に交通事故死(単独事故)した。現在は「軍事の天才」として崇められている=いわゆる軍神。 写真中央:パパの故ハーフェズ・アル・アサド大統領(当時は大統領、2000年6月死去、享年69歳)。 写真左:次男のバッシャール・アル・アサド氏(1965〜、ダマスカス大学法学部卒/ロンドン大学で眼科医を勉強中に長兄が死去したため緊急帰国/ホムス士官学校装甲車科士官訓練コース修了。現・大統領、軍総司令官で陸軍大将)父の死去を受けて、大統領になる。 ※パパのアサドの子供は、長男バーセル=事故死、姉:ブシュラー、次男バッシャール、三男マーヘル、四男マジドがいる。 (1997年6月撮影) パパ・アサド大統領時代、アサド親子の写真(パパ・アサド、長男バーセル、次男バッシャール)とパパ・アサドの写真は、街中溢れていた。 バスのリア・ウィンドウや、商店街などなど、至る所にベタベタ貼っている。国民の数より、アサド親子の看板/ポスター類が多いのではないかと、思ったヨ。 しかしが次男のバッシャール・アル・アサド氏が、大統領になると、アサド親子の写真は劇的に減った。「属国化」していた隣国のレバノンは、彼らの写真がなくなった。
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