《 Czech Republic 》

チェスキー・クルムロフの水害模様
撮影場所:ボヘミア地方、チェスキー・クルムロフの旧市街

(2002年8月撮影)

チェスキー・クルムロフでは、8月16日に最高水位を記録。私が訪れた8月26日には、ヴルタヴァ(ドイツ語:モルダウ)川は元の水位に下がっていた。

しかし写真のように、川岸の家々は床上浸水の被害にあう。写真の矢印は、当時の水位を示す水跡(湿っている)。最高水位を記録したときは、もう少し上まで浸水していたそうだ。川の水位はまたたく間にあがり、家具以外の小物を上の階にあげることしか出来なかった、とのこと。

床上・床下浸水した家屋の地下室から、電動ポンプで水を抜く作業が続けられ、伝染病予防のため消毒剤が撒かれていた。

チェスキー・クルムロフの石畳が強固に敷かれていたためか、プラハの旧市街のように捲れあがることもなく、元のままであった。橋の欄干には、流木や雑草が絡まっていた。

チェスキー・クルムロフ(世界遺産)の冠水:2002年8月初旬から降り始めた大雨は、洪水に発展。8月15日に水位は最高を記録した。被害は拡大し、1890年以来最悪の状況となった。首都プラハでは住民ら20万人が避難。バスターミナルは閉鎖され、地下鉄は約1年間の復旧作業を行う羽目になった。旧市街の被害は最小限に止めることが出来たようだが、周辺の工場が流されたり、と生活に関する被害は大きかった。

チェスキー・クルムロフでは、8月12日、非常事態宣言が発令(チェコ南部5州)される。8月13日、旧市街の低地に住む住民ら数千人に避難勧告が出された。

しかし2003年の夏は、猛暑&干魃にみまわれた。

(チェスキー・クルムロフ城の塔から撮影)

この辺りの家々が、床上浸水を食らった。

チェスキー・クルムロフの民家は、強固なつくりの商家の外周にある。どうやら民家は、城塞としての機能は免除された模様。でも天井は高めで、梁は露出している。

さてここも1階部分が水没した。写真左側の家々に、水没した痕跡がある。

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