《 中華人民共和国 》

▼行き方

「高頭郷」ガオトウ から徒歩圏内。
「高頭郷」までは、廈門またはからの“永定/下洋”行きのバスが「高頭郷」や、「高頭郷」の外れにある「承啓楼」の前に止まることが多い。廈門またはからの“永定/下洋”行きのバスは、経由地(ルート)が色々あるので、事前に確認が必要。他、近隣の町からのミニバスなどの便も多い。

入場料「永定高北土楼群」30元!(2004年1月)
2001年3月では10元だった、2001年6月には20元に値上がり、2002年7月には30元!に値上がる。まさに売り手市場の中国を象徴している。

客家円楼:承啓楼 チョンジンロウ
撮影場所:福建省永定県高頭郷

(これは2001年3月撮影)

※2004年1月再訪したときは、承トイレは少し離れたところに新築され、啓楼の前は整備され芝生を植えられていた。過剰整備の感は否めない。

承啓楼:中国でも日本でも一番有名かもしれない円楼。別名《圓楼之王》。1986年発行の、中国1元切手の図柄にもなっている。この承啓楼の切手が最も人気があったという。

※因みに“土楼王”と呼ばれるのは、福建省華安県仙都鎮大地村にある、福建人(非客家人)がつくった単元式の「二宜楼」。こちらの土楼は“全国重点文物保護単位”に認定されている。

承啓楼(円楼)のすぐ隣には、世澤楼(方楼)、五雲楼(方楼)と、3軒並んで建っている。いづれも、江さん一族の楼。

承啓楼は、1709年から約3年の時間を費やして完成した。4階建て、4重円の《内通廊式円楼》で400間ある。専有面積は、5,376平方メートル。外円楼は、直径61m(73m説もある)、外周229m、高さ12mという規模で、永定県では最大級の円楼の一つ。

総部屋数は412間。4階建ての外円部(各階72間×4階=288間)と、第二周目の内円部に44間、第三周目の内円部には36間、中心分は「祖堂」という《4重円の円楼》から成っている。「祖堂」は1754年に作られた(約15平方メートル)。井戸は3カ所ある。

最盛期は、江さん一族80戸約600名、現在でも、江さん一族60家族300名弱が住んでいる。

大型土楼だが、その出入り口は、南側の大門(写真)と、東西に各1つづつの小さい門があるのみ。

(2001年3月撮影)

2004年1月に再訪したときは、同心円が完全に修復されていた

●祖堂

入口は《大門》タアメンといわれ、この大門をくぐると門庁 マンティンがあり、祖同(祖堂)ツウタン へと直線の通路で通じている。承啓楼はこの他、2カ所の小さい門があるだけ。

承啓楼は、同心円の4重円構造になっている。
外円楼の内側に《環状の建物》が2重に建つ。最も内側には、先祖を祭る祖同(祖堂)が建つ。一族の冠婚葬祭の場でもある。井戸は2カ所。

内円部の《環状の建物》は平屋。
平屋の建物は、各家庭が倉庫や厨房兼食堂、はたまたトイレ、豚や鶏やウサギ小屋などに転用して使っている。写真右端の内円部は、火災で燃えた跡地(大門から入って右側)。ここは家畜小屋になっていた。しかし2004年1月に再訪したときは、この部分は修繕され、豚は楼外に移されていた。

なんとも生活感がある円楼で、一日中ざわめいている。家畜類は、鴨、うさぎ、鶏、豚、と小動物園風。中庭に円を描いて流れる下水では、皿や鍋の洗い物、衣服の洗濯をしている。その横で歯を磨くオヤジ。家畜類が、ブービー、ガーガーとうるさい。この楼は、人や動物の活気が凄い。朝は、家畜をサバく音(断絶声ね)付き。しかし2004年1月に再訪したときは、静かなものだった。

写真は、3階から中庭をみたところ。

(2001年3月撮影)

●外円部

どこの土楼も、1階には台所と食堂、2階には糧蔵、3〜4階には寝室、があるが、ここも同じ様式になっている。

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