《India / Bharat Ganarajya》

ビジャプールの市壁
撮影場所:カルナータカ州、Bijapur

市壁は楕円形に約10km

ビジャプールは、アーディル・シャーヒー朝(ビジャプール王国;1490〜1686)の首都でイスラーム都市。楕円形に市壁をつくり、中央に城塞がある。市壁は96の稜保+5つの主要門がある。

1636年にムガル帝国の配下に、1686年には同帝国に滅ぼされるが、同じイスラーム帝国なためか、建築物はほとんど破壊されなかった。

*

城塞(宮殿)

*

ジャル・マンディル

城塞(宮殿)横に建てられたパビリオン。かつては釉薬タイルが帯状に貼られていたそうだ。

*

城塞近くにある英国植民地時代の家

- - - - - - - - - - - - - - - -

ビジャプールは、アーディル・シャーヒー朝(ビジャプール王国;1490〜1686)の首都でイスラーム都市。アーディル・シャーヒー朝は、一時期はデカン高原の大半を領土とした(中世インド・イスラーム王朝である)バフマニー朝から独立した王朝。

15世紀末、バフマニ朝では権力闘争がおきて5つの王国に分裂した。アーディル・シャーヒー朝(ビジャプール王国)は総督ユースフ・アーディル・ハーンが興した。

アーディル・ハーンはヒンドゥ教勢力とも融和しながら、周辺のヒンディ弱小国を併合して領土を拡大。5つの王国の中ではもっとも勢力のある王朝になる。

ゴアが領土内だったため、ポルトガルとの交易が盛ん。交易を通じてペルシャ(イラン)やアラブの商人、イスラームのスーフィー聖者(イスラーム神秘主義者)との交流があった。よってビジャプールのイスラーム建築は、ヒンディ的でもありイスラームのシーア派的でもある。

1636年にムガル帝国の配下になる。だがムガル帝国はアウラングゼープ帝の治世になると、スンニ派を厳守するため1686年には同帝国に滅ぼされる。だがムガル帝国は、アーディル・シャーヒー朝(ビジャプール王国)の建築物はほとんど破壊されなかった。



inserted by FC2 system