《 Independent State of Papua New Guinea 》

ラバウルの景色
撮影場所:ニューブリテン島、ラバウル

マチュピット湾岸に湧くRapindik/花咲温泉

ラバウルには日本軍の前進・補給基地があり、ニューギニア本島・ソロモン諸島ガダルカナルへの戦略拠点となった。

ラバウル東飛行場(1994年まで“ラバウル空港”として使用していた)は、三方が火山に囲まれ、水深が深い天然の良港(シンプソン湾)の出入り口付近にあり、飛行場西に広がる小さなマチュピテュ湾岸には温泉が湧いていた。

日本軍兵士は目の前のダヴルヴル火山を「花咲山」と命名、温泉は“花咲温泉”と名付けた。

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源泉(80度前後)と海水が混じる海岸

海岸沿いにラバウル東飛行場がある

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ラバウル東飛行場(旧ラバウル空港)

火山灰/溶岩で覆われている

ダヴルヴル火山(花咲山)は、対岸のブルカン火山と同時に噴火を起こす特徴がある。1878年、1937年、1994年に大噴火を起こした。

特に1994年9月19日6:06のダヴルヴル火山、同日7:17のブルカン火山の大噴火は凄まじかった。21日には隣のラバラナカイア山も噴火。ラバウル市内には厚さ5m以上ものの火山灰と溶岩が積もり、更には津波もおきてラバウル市東半分は壊滅した。警報が出ていたため死者は5人だったが、5万人の人々が家を失った。

ブルカン火山とラバラナカイア山は休火山になったが、ダヴルヴル火山は今も活火山である。

ラバウル空港として使っていたラバウル東飛行場は、火山灰に埋まって使えなくなったため、ダヴルヴル火山の南東10kmに、現在の新しい飛行場(トクア空港)をつくった。

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昭和17年頃の風景

零戦(零式艦上戦闘機)の搭乗員で、終戦までに合計64機の敵機を落としたエースパイロット(撃墜王)の坂井三郎氏は、著書“大空のサムライ”(光人社、1967年)でラバウル東飛行場をこう記している。

・狭くるしく、埃っぽい
・基地とはまったくの名ばかり
・呪わしい飛行場の背後には、気味わるい火山が間断なく黒煙を噴き上げ、まるで地獄の一丁目のような様相を呈していた

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ラバウル市中心部

1994年9月の大噴火で、かつての繁華街は火山灰で覆い尽くされているままであるが、木々は蘇りつつある。

電線は切れたまま、上下水道施設も復旧していないが、避難していた住民が僅かづつだが戻り始めている。

■行き方

首都ポートモレスビーから飛行機で1時間半。空港からラバウル市内までは車で40分強。






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